第55回 『智光』小・中学生作文コンクール
入賞者発表


第55回 『智光』
小・中学生作文コンクール
入賞者発表


課題「食について考える」と自由題「現在一番関心のあること」に、合わせて2,617篇という多くの作文が寄せられました。ご応募くださいました各学校の皆さまに厚く御礼申し上げます。厳正な審査の結果、各賞を決定いたしました。

最優秀作「成田山貫首賞」
小学生成田高等学校付属小学校4年和泉野花
中学生千葉市立花見川中学校1年日向りおな
小学生成田高等学校付属小学校6年野沢郁乃
中学生東金市立東中学校2年左海律志
優秀作「成田山智光賞」
小学生成田高等学校付属小学校1年髙橋永愛
小学生寝屋川市立第五小学校5年田中小晴
中学生成田高等学校付属中学校2年大川誉
中学生成田高等学校付属中学校3年飯塚紗綾
小学生千葉市立星久喜小学校6年黒川大河
中学生成田高等学校付属中学校3年若月晴臣
佳作「成田山賞」

小学生(学年・五十音順)

大島凛々(千葉県1年)池田昌弘(千葉県3年)伊藤秋歩(千葉県4年)
内田智悠(千葉県4年)板垣莉央(大阪府5年)今上花音(千葉県5年)
小嶋似奈(大阪府5年)伊達空和(千葉県5年)平塚絢菜(大阪府5年)
安藤莉子(千葉県6年)佐藤沙衣(千葉県6年)清野桃愛(千葉県6年)
山田理央(千葉県6年)
大島凛々(千葉県1年)池田昌弘(千葉県3年)
伊藤秋歩(千葉県4年)内田智悠(千葉県4年)
板垣莉央(大阪府5年)今上花音(千葉県5年)
小嶋似奈(大阪府5年)伊達空和(千葉県5年)
平塚絢菜(大阪府5年)安藤莉子(千葉県6年)
佐藤沙衣(千葉県6年)清野桃愛(千葉県6年)
山田理央(千葉県6年)

中学生(学年・五十音順)

池本柳之介(茨城県1年)岡みずき(千葉県1年)北澤遼(千葉県1年)
毛涯明希(千葉県1年)後藤謙吾(千葉県1年)酒井琉聖(大阪府1年)
坂口香那(大阪府1年)佐瀬凜花(千葉県1年)武田航佳(千葉県1年)
田鍋歩知(千葉県1年)成田眞子(大阪府1年)南條一樹(東京都1年)
原田希咲寧(千葉県1年)福川実幸(千葉県1年)古村陽葵(千葉県1年)
森田茉桜(千葉県1年)龍﨑百花(千葉県1年)青山凛(千葉県2年)
内田瑠菜(千葉県2年)加賀真白(千葉県2年)木村菊乃(千葉県2年)
草野咲翔(千葉県2年)中野愛理(千葉県2年)根本大地(千葉県2年)
平山葵(千葉県2年)廣田和晏(千葉県2年)松戸駿翔(千葉県2年)
丸山結大(千葉県2年)南遼祐(千葉県2年)宮﨑ギリム(千葉県2年)
小林愛(千葉県3年)柴井結貴(千葉県3年)嶋田智生(千葉県3年)
鈴木柚奈(千葉県3年)永野愛佳(千葉県3年)堀田春花(埼玉県3年)
柳澤凜(千葉県3年)
池本柳之介(茨城県1年)岡みずき(千葉県1年)
北澤遼(千葉県1年)毛涯明希(千葉県1年)
後藤謙吾(千葉県1年)酒井琉聖(大阪府1年)
坂口香那(大阪府1年)佐瀬凜花(千葉県1年)
武田航佳(千葉県1年)田鍋歩知(千葉県1年)
成田眞子(大阪府1年)南條一樹(東京都1年)
原田希咲寧(千葉県1年)福川実幸(千葉県1年)
古村陽葵(千葉県1年)森田茉桜(千葉県1年)
龍﨑百花(千葉県1年)青山凛(千葉県2年)
内田瑠菜(千葉県2年)加賀真白(千葉県2年)
木村菊乃(千葉県2年)草野咲翔(千葉県2年)
中野愛理(千葉県2年)根本大地(千葉県2年)
平山葵(千葉県2年)廣田和晏(千葉県2年)
松戸駿翔(千葉県2年)丸山結大(千葉県2年)
南遼祐(千葉県2年)宮﨑ギリム(千葉県2年)
小林愛(千葉県3年)柴井結貴(千葉県3年)
嶋田智生(千葉県3年)鈴木柚奈(千葉県3年)
永野愛佳(千葉県3年)堀田春花(埼玉県3年)
柳澤凜(千葉県3年)

「大切にしたいおべん当作りの時間」 成田高等学校付属小学校4年 和泉野花

 私は毎朝、早起きをして母と一しょにおべん当を作っています。母が毎日のおべん当作りを大変そうにしていたので、手伝おうと思って始めました。しかし、毎日続けるうちに少しずつ上手になり、どんどん楽しくなってきて、今は毎日の楽しみになっています。
 おべん当は父、兄、妹、私の分を作ります。とく意料理はたまご焼きと野さいいためです。味付けはあまめ、食感はやわらかすぎず、かたすぎず、ちょうど良くなるように工夫しています。昼食の時間に自分で食べて、美味しい、上手にできたと思うこともありますが、もう少しいためる時間を短くすれば良かったな、などと思うこともあります。
 がんばっておべん当を作っているので、だれかがのこしたと聞くと、すこしざんねんな気持ちになります。料理をするようになり、料理を作る人の気持ちが少し分かるようになってきました。料理を作る人は、食べる人のことを考えて、一しょうけんめい作っています。食べる人は作る人のことを考えて、食べ物をのこさないように意しきしなくてはいけないと思うようになりました。
 また、食べ物の大切さも感じています。おなかがすくと、力が入らずねむくなってしまいます。何か食べたいな、と食べることしか考えられなくなってしまい、運動も勉強もできません。人間は、食べ物がないと生きていけないと思います。だから、大切な家族のために料理を作ることはとても大事なことだと思います。
 美味しい料理を食べると、元気になります。私は、父が作ったラーメン、母が作ったからあげを食べると元気になります。他にも家族が作った料理で好きな物がたくさんあります。家族は、私がいっぱい食べて元気にすごせるようにと、毎日えいようバランスを考えて食事を作ってくれています。私もみんなに美味しいと思ってもらえるように心をこめておべん当を作ろうと思います。これからも、おべん当作りの時間を大切にしていきたいと思います。

「大切にしたいおべん当作りの時間」
成田高等学校付属小学校4年
和泉野花

 私は毎朝、早起きをして母と一しょにおべん当を作っています。母が毎日のおべん当作りを大変そうにしていたので、手伝おうと思って始めました。しかし、毎日続けるうちに少しずつ上手になり、どんどん楽しくなってきて、今は毎日の楽しみになっています。
 おべん当は父、兄、妹、私の分を作ります。とく意料理はたまご焼きと野さいいためです。味付けはあまめ、食感はやわらかすぎず、かたすぎず、ちょうど良くなるように工夫しています。昼食の時間に自分で食べて、美味しい、上手にできたと思うこともありますが、もう少しいためる時間を短くすれば良かったな、などと思うこともあります。
 がんばっておべん当を作っているので、だれかがのこしたと聞くと、すこしざんねんな気持ちになります。料理をするようになり、料理を作る人の気持ちが少し分かるようになってきました。料理を作る人は、食べる人のことを考えて、一しょうけんめい作っています。食べる人は作る人のことを考えて、食べ物をのこさないように意しきしなくてはいけないと思うようになりました。
 また、食べ物の大切さも感じています。おなかがすくと、力が入らずねむくなってしまいます。何か食べたいな、と食べることしか考えられなくなってしまい、運動も勉強もできません。人間は、食べ物がないと生きていけないと思います。だから、大切な家族のために料理を作ることはとても大事なことだと思います。
 美味しい料理を食べると、元気になります。私は、父が作ったラーメン、母が作ったからあげを食べると元気になります。他にも家族が作った料理で好きな物がたくさんあります。家族は、私がいっぱい食べて元気にすごせるようにと、毎日えいようバランスを考えて食事を作ってくれています。私もみんなに美味しいと思ってもらえるように心をこめておべん当を作ろうと思います。これからも、おべん当作りの時間を大切にしていきたいと思います。

「食の大切さと魚」 千葉市立花見川中学校1年 日向りおな

 人はみんな一つや二つ苦手なものがある。私にも苦手なものがたくさんある。その中で特に苦手なのが魚だ。魚には骨がある。血のような生臭い味がする。あれが苦手なのだ。
 歳を重ねるにつれ、苦手だった野菜も自分から進んで食べられるようになった。そんな中、絶対に食べられなかったのが魚だ。何歳になっても食べられない。そんな気がした。さらに私は魚を食べるのも苦手だが、見るのも苦手だ。大きな海の中で必死に生きてきたのは尊敬しているのだが、あの光のない目を見るとなんだか可哀想に思えてくるのだ。
 いつからか母が仕事で遅くなってしまう日は、祖母の家で夕飯を食べることになった。祖母は基本的に優しいのだが、食には厳しい人だった。私は祖母の家で夕飯を食べると聞いて嬉しかったが、半分は不安だった。
 ついにこの日がやってきた。もちろん祖母の食事は健康的で、家で食べるより美味しいものもたくさんあった。しかし9割の確率で魚が出てくる。私は毎回見て見ぬフリをしてご馳走さまをしようとしたが、気づかれた瞬間怒られた。祖母は、「背を伸ばすために必要だ。」と言っていたが、魚を無理に食べなくても牛乳を飲めばいい。別にそこまで背を伸ばしたい訳でもなかったので気にしていなかった。しかし、私は魚を食べられるようになりたかった。なので、どんなに不味くても食べ続けた。不思議と、魚を食べ続けると健康になっていく感覚がした。
 小学校二年生に進級した頃コロナが流行り、祖母の家に行かなくなった。自分の家で過ごすことが多くなると、つい好きなものばかり食べてしまう。大好きなパスタやお菓子を食べ続け、魚を口にすることはなくなった。そんな生活を続けていた時、自分の体が急激に重くなり、体のコンディションが悪くなっていることに気がついた。しかしなぜパスタだと魚より太ってしまうのだろう。そこで私は健康的で太らない食事を調べてみた。すると魚はタンパク質が取れたり、脳機能や血管の健康サポートまでしてくれるため健康食の定番だといわれていた。私は少し悲しくなった。そして魚を食べず一生不健康なままなのは嫌なので、再び食べるようになった。
 そして、一年半ほどで健康的になれたような気がした。その時、祖母がどれだけすごい存在だったのかも感じられた。わざわざ手間暇かけて魚料理を作ってくれてとても感謝している。これからは祖母が教えてくれた健康的な食の大切さを思い出しながら過ごしたい。そして、大人になったら祖母に美味しくて健康的な魚の料理を振る舞って、こんなにも成長したんだと驚かせて喜んでもらうのが私の大きな目標だ。

「食の大切さと魚」
千葉市立花見川中学校1年
日向りおな

 人はみんな一つや二つ苦手なものがある。私にも苦手なものがたくさんある。その中で特に苦手なのが魚だ。魚には骨がある。血のような生臭い味がする。あれが苦手なのだ。
 歳を重ねるにつれ、苦手だった野菜も自分から進んで食べられるようになった。そんな中、絶対に食べられなかったのが魚だ。何歳になっても食べられない。そんな気がした。さらに私は魚を食べるのも苦手だが、見るのも苦手だ。大きな海の中で必死に生きてきたのは尊敬しているのだが、あの光のない目を見るとなんだか可哀想に思えてくるのだ。
 いつからか母が仕事で遅くなってしまう日は、祖母の家で夕飯を食べることになった。祖母は基本的に優しいのだが、食には厳しい人だった。私は祖母の家で夕飯を食べると聞いて嬉しかったが、半分は不安だった。
 ついにこの日がやってきた。もちろん祖母の食事は健康的で、家で食べるより美味しいものもたくさんあった。しかし9割の確率で魚が出てくる。私は毎回見て見ぬフリをしてご馳走さまをしようとしたが、気づかれた瞬間怒られた。祖母は、「背を伸ばすために必要だ。」と言っていたが、魚を無理に食べなくても牛乳を飲めばいい。別にそこまで背を伸ばしたい訳でもなかったので気にしていなかった。しかし、私は魚を食べられるようになりたかった。なので、どんなに不味くても食べ続けた。不思議と、魚を食べ続けると健康になっていく感覚がした。
 小学校二年生に進級した頃コロナが流行り、祖母の家に行かなくなった。自分の家で過ごすことが多くなると、つい好きなものばかり食べてしまう。大好きなパスタやお菓子を食べ続け、魚を口にすることはなくなった。そんな生活を続けていた時、自分の体が急激に重くなり、体のコンディションが悪くなっていることに気がついた。しかしなぜパスタだと魚より太ってしまうのだろう。そこで私は健康的で太らない食事を調べてみた。すると魚はタンパク質が取れたり、脳機能や血管の健康サポートまでしてくれるため健康食の定番だといわれていた。私は少し悲しくなった。そして魚を食べず一生不健康なままなのは嫌なので、再び食べるようになった。
 そして、一年半ほどで健康的になれたような気がした。その時、祖母がどれだけすごい存在だったのかも感じられた。わざわざ手間暇かけて魚料理を作ってくれてとても感謝している。これからは祖母が教えてくれた健康的な食の大切さを思い出しながら過ごしたい。そして、大人になったら祖母に美味しくて健康的な魚の料理を振る舞って、こんなにも成長したんだと驚かせて喜んでもらうのが私の大きな目標だ。

「英語でコミュニケーションをとりたい」 成田高等学校付属小学校6年 野沢郁乃

 今年の春休みにアメリカからお母さんの友達が日本に旅行に来ました。その友達の家族には、私と同じ年の女の子と2つ年下の妹がいます。私は学校の授業で英会話の勉強をしているので、友達になって英語で会話をすることをとても楽しみにしていました。
 私とお母さんは明治神宮や原宿、渋谷などを案内して、一緒にご飯も食べました。初めはアメリカ人のお友達とどんな会話をしようかとドキドキしていましたが、会ってすぐに日本人の友達と同じように、好きな食べ物や好きなアニメなどの質問をされました。私はとても楽しくてたくさん話したいことがありましたが、日本人のお友達と会話をする時のように話したいことをすぐに英語で表現できませんでした。時々お母さんに通訳をしてもらいました。友達同士で行動した時はほん訳機を使いました。言葉が上手く通じない人同士では、会話が途中で止まってしまうこともありました。その状況でもお互いの目を見たり、表情や態度、声のトーンなどからお互いの感情を察し、相手を理解しようとしあうことでコミュニケーションをとることができて、楽しい時間を過ごしました。
 しかし、私は自分が話したいことや相手からの問いかけにすぐに英語で対応できないことに、もどかしさを感じ悔しい思いをしました。近年ではほん訳機を使用することで、外国人とコミュニケーションをとることができて便利になりました。けれども、ほん訳機を使ったコミュニケーションは、機械がほん訳する際に時間が取られることで会話が途切れてしまい、会話が成り立たないという物足りなさを感じました。これは通訳を通して行う会話でも同じだと感じました。日本人同士と同じで、コミュニケーションは相手の目を見ながらスムースに言葉を交わすことでより良いものになるのだと思いました。
 私はこれからはもっと英語の勉強を頑張ろうと思います。そして今度は私がアメリカのお友達のいるロスアンゼルスに会いに行ってたくさんお話しをしたいと思いました。

「英語でコミュニケーションをとりたい」 
成田高等学校付属小学校6年
野沢郁乃

 今年の春休みにアメリカからお母さんの友達が日本に旅行に来ました。その友達の家族には、私と同じ年の女の子と2つ年下の妹がいます。私は学校の授業で英会話の勉強をしているので、友達になって英語で会話をすることをとても楽しみにしていました。
 私とお母さんは明治神宮や原宿、渋谷などを案内して、一緒にご飯も食べました。初めはアメリカ人のお友達とどんな会話をしようかとドキドキしていましたが、会ってすぐに日本人の友達と同じように、好きな食べ物や好きなアニメなどの質問をされました。私はとても楽しくてたくさん話したいことがありましたが、日本人のお友達と会話をする時のように話したいことをすぐに英語で表現できませんでした。時々お母さんに通訳をしてもらいました。友達同士で行動した時はほん訳機を使いました。言葉が上手く通じない人同士では、会話が途中で止まってしまうこともありました。その状況でもお互いの目を見たり、表情や態度、声のトーンなどからお互いの感情を察し、相手を理解しようとしあうことでコミュニケーションをとることができて、楽しい時間を過ごしました。
 しかし、私は自分が話したいことや相手からの問いかけにすぐに英語で対応できないことに、もどかしさを感じ悔しい思いをしました。近年ではほん訳機を使用することで、外国人とコミュニケーションをとることができて便利になりました。けれども、ほん訳機を使ったコミュニケーションは、機械がほん訳する際に時間が取られることで会話が途切れてしまい、会話が成り立たないという物足りなさを感じました。これは通訳を通して行う会話でも同じだと感じました。日本人同士と同じで、コミュニケーションは相手の目を見ながらスムースに言葉を交わすことでより良いものになるのだと思いました。
 私はこれからはもっと英語の勉強を頑張ろうと思います。そして今度は私がアメリカのお友達のいるロスアンゼルスに会いに行ってたくさんお話しをしたいと思いました。

「小さな光が教えてくれたこと」 東金市立東中学校2年 左海律志

 小さな命の誕生は、私たちの家族に新たな絆を生み出し、私の心にも優しい光を灯しました。
 春のある日、両親と兄が私の帰りを待っていました。「みんなで犬の散歩に行こう」と誘われ、「冬に家族が増える」ことを告げられました。驚きと少しの不安を感じていました。やがて母のお腹が大きくなり、赤ちゃんの動きを感じるようになると、命の存在がより現実味を帯びてきました。私は「自分にできることは何だろう」と考えるようになり、弟だった自分が兄になることへの、小さな期待が膨らんでいました。
 冬の静けさに包まれた一月、妹が誕生しました。小さな手、小さな泣き声、そのすべてがまぶしく、「生まれてきてくれてありがとう」と心の中でつぶやいていました。初めて抱っこしたときは緊張しましたが、妹の笑顔やしぐさにふれるうちに「守りたい」という気持ちが自然と芽生えていました。お風呂で気持ちよさそうにする顔、外の世界に触れたときの驚いた表情、初めてイチゴを食べたときの目の輝き、その一つひとつが、私の心をやさしくしてくれました。
 中学生になった私は、勉強や部活に追われどこか心に余裕がなくなっていました。けれど、妹が初めて立ち上がり、よろけながら一歩を踏み出す姿を家族全員で見守ったとき、部屋中に笑顔が溢れ、私の中にも新しい光が灯りました。そして、二歳になった妹は、たどたどしい言葉で歌を歌い、いつも家族の中心にいます。父はやさしい表情を浮かべ、母はその歌に耳を傾け、兄はやわらかな笑顔で見つめています。妹の存在が、家族に笑顔を運んでくれているのです。
 この小さな命がくれた光は、「誰かのために行動することの尊さ」を私に教えてくれました。支え合い思いやることが、家族を一つにし心を豊かにしてくれる。そのやさしさをこれからも大切にしていきたいと思います。この気持ちは、家族だけでなく、友人や周りの人、困っている誰かにも広げていけると信じています。優しい言葉をかけ、そっと寄り添う行動を日々心がけながら、私も誰かの心に光を灯せるように人生を歩んでいきたいです。
 妹がこれからも幸せに成長できるように、私は、いつもそばで支え、見守り続けたいと思います。

「小さな光が教えてくれたこと」
東金市立東中学校2年
左海律志

 小さな命の誕生は、私たちの家族に新たな絆を生み出し、私の心にも優しい光を灯しました。
 春のある日、両親と兄が私の帰りを待っていました。「みんなで犬の散歩に行こう」と誘われ、「冬に家族が増える」ことを告げられました。驚きと少しの不安を感じていました。やがて母のお腹が大きくなり、赤ちゃんの動きを感じるようになると、命の存在がより現実味を帯びてきました。私は「自分にできることは何だろう」と考えるようになり、弟だった自分が兄になることへの、小さな期待が膨らんでいました。
 冬の静けさに包まれた一月、妹が誕生しました。小さな手、小さな泣き声、そのすべてがまぶしく、「生まれてきてくれてありがとう」と心の中でつぶやいていました。初めて抱っこしたときは緊張しましたが、妹の笑顔やしぐさにふれるうちに「守りたい」という気持ちが自然と芽生えていました。お風呂で気持ちよさそうにする顔、外の世界に触れたときの驚いた表情、初めてイチゴを食べたときの目の輝き、その一つひとつが、私の心をやさしくしてくれました。
 中学生になった私は、勉強や部活に追われどこか心に余裕がなくなっていました。けれど、妹が初めて立ち上がり、よろけながら一歩を踏み出す姿を家族全員で見守ったとき、部屋中に笑顔が溢れ、私の中にも新しい光が灯りました。そして、二歳になった妹は、たどたどしい言葉で歌を歌い、いつも家族の中心にいます。父はやさしい表情を浮かべ、母はその歌に耳を傾け、兄はやわらかな笑顔で見つめています。妹の存在が、家族に笑顔を運んでくれているのです。
 この小さな命がくれた光は、「誰かのために行動することの尊さ」を私に教えてくれました。支え合い思いやることが、家族を一つにし心を豊かにしてくれる。そのやさしさをこれからも大切にしていきたいと思います。この気持ちは、家族だけでなく、友人や周りの人、困っている誰かにも広げていけると信じています。優しい言葉をかけ、そっと寄り添う行動を日々心がけながら、私も誰かの心に光を灯せるように人生を歩んでいきたいです。
 妹がこれからも幸せに成長できるように、私は、いつもそばで支え、見守り続けたいと思います。