成田山新勝寺 千葉県成田市成田1

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成田山Q&A

ご質問

と回答

御護摩札のおまつりの仕方を教えてください

自宅ではどのような場所が適しているのか、御護摩札と一緒にいただいた御神酒や御供物は、どのようにするのが良いのか、教えてください。

お答えします

御護摩札は、お不動さまの尊い御霊徳を宿した御分身です。自宅や事業所におまつりするということは御本尊不動明王をお迎えすることにほかなりません。成田山から離れていても、いつもお不動さまが近くで見守り、御加護くださるのです。
おまつりする場所は、仏壇など清浄な場所に御護摩札が南か東に向くよう、おまつりください。
御護摩札をおまつりしたら、御神酒や御供物、灯明、花、水、香炉などを荘厳します。自宅で用意できるものだけで結構ですので、写真に紹介している例を参考に荘厳してください。
お受けになった御護摩札には、あなたのお願い事が込められています。毎日朝に夕に手を合わせ、不動明王御真言や御宝号「南無大日大聖不動明王」を読誦して、お願い事の成就をお祈りください。お不動さまが心願成就を叶かなえてくださいます。
心に不安や迷いが生じた時は御護摩札に手を合わせて、お不動さまに安らかな心へと導いていただきましょう。
御護摩札は、およそ一年を目安に成田山へ納め、新たな御護摩札をお受けください。また、お願い事が成就した時は、成田山へ参詣して、お不動さまに成就の報告と感謝をお伝えすることをおすすめします。

ご質問

と回答

護摩木って何ですか?

大本堂に「添護摩木のご案内」という看板がありましたが、
詳しく教えてください。

関連項目: 御護摩について

お答えします

護摩木は、御護摩祈祷で用いる特別な薪のことです。御護摩祈祷とは御本尊不動明王の前に壇を設け、護摩木という薪を焚いて、心願成就を祈念する真言密教の修法です。成田山では、ご参拝の皆さまに、護摩木にお願いごとを書いてお不動さまに捧げる「添護摩木祈願」をおすすめしています。

ご質問

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御火加持(おひかじ)について教えてください

心に期するところがあって御護摩祈願を申し込み、大本堂におまいりしました。その際、多くの方が持ち物を御護摩の炎にあててもらっていました。これはどのようなものなのでしょうか。

お答えします

御護摩祈願のとき、御護摩札や御守、おまいりした皆さまの輪袈裟や念珠、バッグ、財布など、身の回りの物を御護摩の炎にあてることを「御火加持」といいます。

御護摩の炎で煩悩を焼き浄め御加護をより身近に
御護摩は、真言宗の宗祖、弘法大師が日本に伝えられた真言密教の秘法です。

大本堂中央の護摩壇にて、ご信徒のお願い事が書かれた「護摩木」という特別な薪を焚き、炎でその願いを清浄な願いとしてお不動さまにお伝えする、祈りの儀式です。
御護摩の炎は、私たちの心の迷いや苦しみの原因である煩悩(ぼんのう)を焼き浄め、清浄なさとりの種を芽生えさせてくださる、お不動さまの智慧の象徴です。この智慧の浄火による加持のことを「御火加持」といいます。

加持とは、お不動さまの御心を私たちの信仰心で受け止めることによっていただける不思議な力をいいます。
弘法大師は、加持について「仏日の影、衆生の心水に現ずるを加と言い、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく」と説かれました。
お不動さまは、太陽の光(仏日)のように降り注ぐ慈悲心で、私たちを御加護くださっています。その慈悲心を「加」といいます。そして、慈悲心を信仰という心のアンテナ(心水)で感じ取ることを「持」といいます。つまり、お不動さまの慈悲心を強い信仰心で感じ取ることで御加護を受けられるということです。
「御火加持」を受けるということは、お不動さまの智慧の浄火によって煩悩を焼き浄め、加持のはたらきによってお不動さまの尊い御ご霊徳を宿すということです。これによって、その物が本来、持っている役割を発揮させたり、御加護を受けたりすることができるのです。
成田山では毎日、大本堂で御護摩祈願を厳修しています。おまいりの際は、この「御火加持」を受け、お不動さまの御加護をお祈りください。

ご質問

と回答

朝護摩について教えてください

暁天講座の案内にある「朝護摩」について教えてください。

お答えします

成田山では、毎日、国土安穏、東日本大震災被災地復興、ご信徒の皆さまのお願い事の成就を願い、大本堂で、御護摩祈願を厳修しています。御護摩祈願の厳修は一日数回に及びますが、そのうち早朝に行われる御護摩祈願を「朝護摩」と呼称しています。時間は、4月〜9月が午前5時30分から、10月〜3月が午前6時から、となっています。どなたでもご自由に大本堂に上がり参詣いただけます。暑さ厳しい7月、8月は、朝護摩にお詣りして、涼気あふれる境内を散策すれば、身も心も爽やかになります。

関連項目: 御護摩について

ご質問

と回答

御護摩札を新しくする時期と古い御護摩札の納め方について

今年の正月に家族で成田山へおまいりして「家内安全」の御護摩札をいただきました。御蔭で、家庭円満に過ごすことができ、お不動さまには大変感謝しております。この御護摩札は、いつ新しい御札に代えればいいのでしょうか。また、古い御札はどうしたらいいでしょうか。

お答えします

新しい御札に代えなければならない期日、期間は決まっていません。毎年の初詣の際に、古い御札を納めて新しい御札を受けて帰るというように、概ね一年を目処に新しくしていただければ結構です。
初詣の他、正五九詣りや、祇園会、秋詣など、年間に何度も参詣される方の中には、おまいりの度に古い御札を納めて新しい御札を受けられる方もいらっしゃいます。
受験や就職試験の合格祈願や心願成就など、お不動さまの御加護によって目標が成就した時には、時期を問わず御礼まいりをして、その御札を納めるのがよいでしょう。
古い御札は、その御札を受けたところに納めるのが通例です。それまでの御加護に感謝し、境内の納札所へ古い御札を納めてください。

ご質問

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絵馬の図柄はいろいろあるの?

成田山にお詣りした時、お不動さまが描かれた絵馬がありました。
絵馬には馬が描かれていると思っていましたが、特別なものなのでしょうか?

お答えします

絵馬というと、その名前から馬が描かれていると連想しがちですが、実際は様々な図柄の絵馬が存在します。もともとは生きた馬を奉納していましたが、平安時代より馬の絵を額におさめるようになり、その後、祈願の内容により様々な図柄が描かれるようになりました。お不動さまが描かれた絵馬は、お不動さまの御尊像を奉納して開運成就や心願成就を祈るという意味が込められています。

関連項目: 御護摩について

ご質問

と回答

お初まいりについて教えてください

成田山で安産の御守をいただいて、6月10日、無事に赤ちゃんを出産することができました。おかげさまで母子ともに順調に過ごしています。先日、両親から「この子のお初まいりは成田山に行こう」という提案がありました。しかし、初めてのことですので、いつ頃お詣りして、どのようなことをするのかなど、分からないことばかりです。成田山のお初まいりについて、教えてください。

お答えします

無事に出産され、母子ともに順調とのこと大変めでたく、ご家族の皆さまもお喜びのことと存じます。
日本では、古くから子どもが生まれると命名の儀式「お七夜」に始まり、「お初まいり」や生後百日目を祝う「お食い初め」、「初節句」に「七五三」など、多くの儀式を行います。
食料が不足し、医療が未発達であった時代、生まれてきた子どもは、「七つまでは神のうち」と言われ、いつまた神さまの元へ帰ってしまうか分からないと考えられていました。ですから、子どもの健やかな成長への思いは切実であり、節目ごとに成長を祝い、神仏の御加護に感謝してきました。
お初まいりは、生後31日から32、3日頃の赤ちゃんが家から出て行う初めてのお祝い事です。古くは、「産土神まいり」と言われ、各家の氏神さまとなっている地元の神社におまいりする儀式でした。しかし、現在では、ご両親やご家族にとって身近な神社仏閣におまいりすることが増えてきています。成田山でも毎年、多くの皆さまが、お初まいりに参詣しています。
成田山のお初まいりは、赤ちゃんが御本尊不動明王と御縁を結んで、その御加護により、健やかに成長するよう祈る儀式です。大本堂内のお不動さま御宝前で、はじめに赤ちゃんと参列された皆さまの身体と心をお清めする洒水加持を行い、額に不動明王御印紋を授与する儀式、身体健全と無病息災を祈願する法楽をとり行います(写真)。両家に限らず、親戚や有縁の皆さま、どなたでも堂内にお入りいただけます。どうぞご一緒に参列し、健やかな成長をお祈りください。
法楽後、お初まいり祝祷の御護摩札と身代御守を授与します。どちらも御本尊不動明王の御分身です。御護摩札は、ご自宅の仏壇や神棚、あるいは浄らかな場所におまつりして、お子さまの身体健全をお祈りください。また、御守は、いつも御加護いただけるように、お子さまの近くに置いてください。
成田山のお初まいりでお不動さまの大いなる御加護をいただき、ご家族皆さまのあたたかい愛情に育まれて、お子さまが健やかに成長されますよう、お祈りいたします。

ご質問

と回答

星供養って何ですか?

毎年2月に母から「思わぬ災難に遭わぬように」と成田山の星供養の紙札が送られてきます。星供養ってなんですか?

お答えします

星供養は、弘法大師が日本に伝えられた真言密教の修法で災難消除と招福をお願いするものです。『宿曜経』などの経典によると、私たちの運勢は天体の運行と密接な関係があるとされています。生まれ年により定められる各人の当たり星が年ごとにあり、その星回りで1年の運勢が変わってきます。星供養は、その年のあたり星を供養することにより1年の幸せを祈願するものです。

関連項目: 星供養について

ご質問

と回答

平和大塔にお不動さまをお納めできると聞いたんですが・・・

以前、成田山平和大塔へ参拝した折り、たくさんのお不動さまが名前入りで納められていました。私も是非お不動様をお納めしたいのですが?

お答えします

成田山平和大塔には建立以来、数多くの不動明王御尊像が納仏されてまいりました。大塔掛仏(かけぼとけ)とは、御本尊不動明王と御信徒皆様との尊いご結縁のしるしとして、ご芳名を明記し、大塔に奉安、貴家の家運繁栄を祈願申し上げるものです。成田山平和大塔掛仏の御尊像は、一木一躰敬虔な祈りをこめて謹刻された御本尊不動明王の御分身御分霊です。千載一遇の勝縁と存じますので、この機会に成田山平和大塔へ掛仏を奉安いただき、不動尊信仰に一層ご精進下さいますようおすすめ申し上げます。

ご質問

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正五九詣りについて教えてください

お答えします

正月、五月、九月に寺院に参詣することを正五九詣りといいます。より良い功徳を得られるとして、多くの方が成田山正五九詣りを続けています。
一説によるとこの風習はインドから伝わったもので、正五九月に仏さまが、善悪を視察に来られるという伝承から、僧侶は特に精進して功徳を積むために、さまざまな修行を行ったといいます。
一般の仏教徒は、不殺生(生き物を殺さない)、不偸盗(盗みをしない)、不邪淫(みだらな行為をしない)など、八斎戒と呼ばれる八つの戒律を守り、身を慎んで生活することが主でした。これが日本に伝わって寺院への参詣という形になり、正五九詣りとなったのです。

日頃の御加護に感謝したくさんの祈りを捧げる
正五九詣りをすれば普段の月よりも御利益を得ることができるといわれていますが、そのほかの月に参詣すると御利益が少ないというわけではありません。
古くから日本では、年明けの正月には一年の平安を祈り、田植えの五月には豊作を祈り、収穫時期の九月には自然の恵みに感謝を捧げてきました。
正五九月は、たくさんの御利益が得られる月というよりも、仏さまへたくさんの祈りを捧げる月なのです。
私たちは、安定した生活が続くと、仏さまの御加護や自然の恵みなど、目には見えない大きな恩恵をいただいていることを忘れてしまいがちです。
正五九月を迎えましたら、仏さま、大自然、そして、多くの人に支えられて自分が生かされているということを改めて思い返し、感謝と慈しみの心で、すべての生命の幸福を祈りましょう。
是非、成田山へ参詣し、大本堂に上がって、御本尊不動明王に熱心な祈りを捧げてください。
お不動さまに感謝の心で敬虔な祈りを捧げるならば、いつもよりたくさんの御利益を感じとることができます。そして、お不動さまの御加護のもと心豊かな毎日を送ることができるのです。

ご質問

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成田山喪中の初詣について教えてください

先月、身内に不幸がありました。毎年、成田山に初詣していますが、喪に服している間は、初詣に行ってはいけないと親戚の人から言われました。来年の初詣は控えたほうがよいのでしょうか。

成田山初詣。三が日の大本堂前。

お答えします

人が亡くなったとき、近親者が一定の期間、喪に服して、死を悼いたみ、慎つつしむことを「忌中」や「喪中」といいます。
現在、とらえられている概念は、神道や仏教の考え方が神仏習合によって一体となって世間に浸透したものが一般的ですが、元来そのとらえ方はまったく違ったものです。

人の死に対する神道と仏教の考え方

日本固有の伝統的宗教観と祭祀を説く神道では人の死を穢けがれと考えます。
この穢れを他に及ぼさないように身を祓はらい清めて慎むことを忌中といいます。故に、忌中の間は、神聖なる神社や神棚への参拝、お祭り、お祝い事への参加などを遠慮します。
一方、仏教では、人の死は穢れとみなさず、苦しみや迷いといった煩ぼんのう悩から離れた安らかな境地である仏の世界への旅立ちと解釈します。ですから仏教寺院では、故人の御霊に法名や戒を授け、仏の世界へ引導する葬儀や故人を供養する法要を営みます。故人に哀悼の気持ちを表す期間を喪中といいます。その期間は、時代や地域によってさまざまです。
明治七年の太政官布告『忌き服令』(昭和二十二年に廃止)では、忌中と喪中の期間をそれぞれ等親ごとに細かく定めています。
それによると、父母の忌中が五十日間、喪中が十三カ月間と最長で、いとこ、甥・姪の忌中が三日間、喪中が七日間と最短になっています。
仏教では、宗派によって多少の違いがありますが、『梵網経』というお経に説かれる中陰を概ね喪に服する期間としています。中陰の教えでは、人は死後、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道をさまようといい、生前、悪行を重ねた人でも、遺族が七日ごとに追善供養を重ねれば、死者もその功徳を受け、よりよい世界に転生するとされています。
遺族は、初七日から四十九日まで七日ごとに故人のための追善供養を営み、最後の四十九日で満願を迎えて、喪が明けます。 誰もが公私ともに忙しい毎日を送る現代では、忌中、喪中の期間が昔よりずいぶんと短縮され、肉親が亡くなった場合でも忌中は初七日まで、喪中は四十九日までというのが一般的になってきました。
それでも、喪中の間や死後一年間は、慶事への出席はもちろんのこと、初詣や正月飾り、年賀状の挨拶などといった新年の行事を控えることが、しきたりとして続いています。

お不動さまに故人の冥福と自身の御加護を祈る

「初詣に行ってはいけない」という親戚の方の言葉も、そうしたものに由来しているのでしょう。
しかし、成田山の御本尊不動明王は、燃えさかる火炎をもって、私たちの穢れや罪障を浄めてくださいます。すなわち、お不動さまにおまいりすることで、身も心も清浄になるのです。
また、お不動さまが亡き人を初七日まで御守護、御導きくださるといいます。むしろ、喪に服している時こそ、亡き人の追善供養のため、お不動さまにおまいりください。
成田山の初詣は、お不動さまに年頭の誓いをたて、一年の御加護と幸せを祈願するという大切な年中行事です。
亡き人のご冥福を祈り、悲しみを乗り越えて気持ち新たに新年を迎えるためにも、ご遺族一同でお不動さまにおまいりされますことをおすすめいたします。

ご質問

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なぜ灯明を奉納するのでしょうか

成田山におまいりした際、信徒がろうそくに火をともして奉納する姿を目にして、私も深く考えずに家族の人数分を献灯しました。仏さまに献灯するということは、どのような意味があるのでしょうか。

お答えします

仏教発祥の地インドでは、古来、聖者に灯明(とうみょう)をささげることが徳のある行為として尊ばれ、お釈迦さまの説法の際にも多くの灯明が捧げられたといいます。

 

私たちの煩悩を鎮め正しい道へ導く智慧の光
仏前に灯明を捧げるということは、仏さまに帰依(きえ)しその御教えを称え、自らの心に光をいただくという意味があります。これは、太陽の光を浴びて植物が成長するように、仏さまの智慧の光に導かれて、私たちの心も正しく養われることを願うものでもあります。
真言密教では、閼伽(あか)〔清らかな水〕、塗香(ずこう)〔身体に塗る香)、華鬘(けまん)〔花〕、焼香(しょうこう)〔焚く香〕、飲食(おんじき)、灯明の六つを仏さまに供養します。
それぞれの供養には、六波羅蜜(ろくはらみつ)〔布施(ふせ)、 持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)〕という仏教の六つの徳目が込められていて、灯明は智慧を表しています。
その智慧で心の闇を照らし、正しい道へ導くことを「除闇遍明(じょあんへんみょう)」〔闇を除いて遍あまねく明るくする〕といいます。暗闇の中で灯明をつけた時、その光が周囲を明るく照らし出すように、仏さまの智慧があらゆる人びとの心を等しく照らし導いてくださるのです。
また、その光は、貪りや怒り、無知といった煩悩を鎮め、私たちを常に正しい道へと導いてくださいます。

成田山では、大本堂の正面や堂内をはじめ、釈迦堂、光明堂、平和大塔などに献灯台を設置しています。
おまいりの際には、どうぞ大本堂の御本尊不動明王をはじめ、各堂の仏菩薩に灯明をお供えして、日々の御加護をお祈りください。
なお、本年7月7日から12日まで奉修する成田山祇園会では、期間中特別開扉する奥之院にて御本尊大日如来に献灯することができます。
献灯したろうそくは、祈りを捧げた後、お持ち帰りいただけます。
ご自宅の仏壇やお不動さまの御分身御分霊である御護摩札にお供えして、ご家族皆さまの幸せをお祈りください。

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成田山の縁結びについて教えてください。

お答えします

縁結びは一般的に男女の出会いを結ぶことをいいますが、本来、縁という言葉には人や物事とのかかわりあい、また、そのかかわりを深めるという意味があります。ですから新たな出会いを願うこと、すでに出会っている人との縁をさらに深めること、どちらも縁結びといえます。

古くから伝わる縁結び信仰
古来、人と人の出会いは超自然の意志が関係すると考えられ、各地方に独特の縁結び信仰が生まれました。特に有名なのが、旧暦十月に日本中の神々が出雲に集まり、縁結びの会議を開く「神議り」です。男女の出会いに限らず、人や物事、農業などにかかわるすべての縁について話し合うと伝えられ、現在でも出雲地方では、十月を神が集まる月、神在月と呼び、さまざまなお祭りが行われています。
江戸時代になると、国学者の本居宣長が『古事記伝』を出版したことをきっかけに、出雲の「神議り」を題材にした浮世絵が描かれるようになりました。その中には、集まった神々が男女の名前を記した木札の組み合わせを相談し、それをつないで縁結びをしている様子が描かれています。そうした浮世絵が、江戸時代中期以降、民衆の間に広がり、縁結びは男女の新たな出会いを願うものとして捉えられてきたと考えられています。

成田山の愛染明王に良縁を祈る
成田山の光明堂では、縁結びに御利益があると伝わる愛あいぜんみょうおう染明王(写真)をおまつりしています。愛染明王は、人びとの間で、「愛染」が「逢あい初ぞめ」、「逢い染ぞめ」と解され、新たな人と出会うように、逢うことを重ねて仲睦まじくなるようにと願われてきました。未だ見ぬ人との縁を願うだけでなく、恋人同士や友人、家族など今ある縁がより強くなるよう願うことも縁結びの御利益といえます。
ですから、縁結びの御守や絵馬をいただくことは、二人の幸せを願うことであり、大変良いことと存じます。私たちは日常の中で、思いがけない人や物事と出会うことがあります。目に見えない不思議な縁。その中で良い縁が結ばれるように、良縁がさらに堅く結ばれ、続いていくようにと願う気持ちを持ち続成田山の縁結び光明堂の愛染明王けることが大切です。愛染明王の御利益によって、恋愛成就だけでなく、夫婦円満や家族円満など、今あるご縁が一層深まりますようご祈念申し上げます。

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薬師如来について教えてください

お答えします

薬師如来は、十二の誓願のもと、人びとの病気を治し苦しみから救ってくださる仏さま

薬師如来は、「東方浄瑠璃(じょうるり)界」の教主で、正式には東方薬師瑠璃光如来といい、お薬師さまと呼ばれ親しまれています。阿弥陀如来が「西方極楽浄土」で安らぎを与えてくださるのに対し、薬師如来は、この世の私たちの苦しみを除き、安らぎを与えてくださる現世利益(げんぜりやく)の仏さまとして、遠く飛鳥時代から信仰されてきました。中国唐代の高僧・玄奘三蔵が訳した『薬師瑠璃光如来本願功徳経』によると、お薬師さまは、修行中の菩薩の時、人びとを苦しみから救済するために、十二の誓願を立てられました。

第一願
光明普照(こうみょうふしょう) 遍く世界を照らし、人びとをさとりに導く
第二願
随意成弁(ずいいじょうべん)意のままに人びとの事業を成就させる
第三願
施無尽物(せむじんぶつ)仏の教えに従うものに生活必需品を施す
第四願
安心大乗(あんじんだいじょう)皆ともに救済される道へと導く
第五願
具戒清浄(ぐかいしょうじょう)人びとに戒律を与え浄らかな生活を送らせる
第六願
諸根具足(しょこんぐそく)病気の苦しみを癒やして健全な身体を与える
第七願
除病安楽(じょびょうあんらく)医薬がきかない病から救済する
第八願
転女得仏(てんにょとくぶつ)仏道を歩む上で性差別をなくす
第九願
安心正見(あんじんしょうけん)さとりの妨げとなる煩悩を除き正しい判断ができるようにする
第十願
苦悩解脱(くのうげだつ)自然災害などこの世の苦しみから人びとを救う
第十一願
飲食安楽(おんじきあんらく)飢えや渇きからの苦しみから人びとを救う
第十二願
美衣満足(みえまんぞく)人びとに衣服を施す

これら十二の願を成就した結果、さとりを開いて如来となられました。この時、十二誓願の成就を阻止しようとする魔障(苦しみの原因となる誘惑や心の迷い)と戦った十二尊の護法善神が十二神将です。

霊薬を入れた薬壺を持つ
お薬師さまは、十二誓願のもと、私たちをあらゆる苦しみから救ってくださる仏さまで特に病気を治し心に法薬を与える医薬の仏さまということで深く信仰されてきました。左手に持つ薬壺(上写真)の中には、どのような病気も治す霊薬が入っているといい、人びとの苦しみにあわせて救いの手を差しのべてくださいます。明るい光を放って遍く世界を照らし、人びとをあらゆる苦しみから救ってくださる仏さまが薬師如来です。

ご質問

と回答

お不動さまはなぜ怒っているの?

ほかの仏さまはみな優しいお顔なのに、
どうしてお不動さまは怒っているのでしょうか?

お答えします

お不動さまの怒りの表情を「忿怒の相(ふんぬのそう)」といいます。お不動さまの怒りのお顔は、子供が良い行いをした時には褒めてあげて、悪い行いをした時には厳しく叱るという、親の愛情にたとえられます。お不動さまは私たちに深い愛情を持って、あえてはげしい怒りの表情をされて、私たちの心の中にある迷いや愚かさを滅ぼし、正しい道へと導いてくださっているのです。

ご質問

と回答

両童子について教えてください

お答えします

成田山の境内に奉安してある大きな剣は、お不動さまが右手にお持ちになっている利剣で、さとりの智慧を表しています。また、両側の童子(両童子)は、向かって右側を矜羯羅(こんがら)童子、左側を制多迦(せいたか)童子といいます。生きとし生けるものすべてを救済しようという、お不動さまの誓願に従って私たちを御守護くださる眷属です。矜羯羅童子は、穏やかな顔つきで手に蓮華を持ち、お不動さまの慈悲をあらわしています。
矜羯羅は梵語「キンカラ」の音写語で「指示に従って行動する者」という意味です。常にお不動さまの側で「お不動さま、何をいたしましょうか」とお伺いをたてています。制多迦童子は、厳しいお顔で金剛棒を持ち、お不動さまが私たちを救済するためにこうじる方便(手段)をあらわす童子です。
制多迦は梵語「チエータカ」の音写語で「召使い」を意味します。お不動さまの奴僕行を体して、手となり足となって私たちを御加護くださいます。
矜羯羅童子と制多迦童子の心持ちや果たす役割を要約すれば「堅い信仰心をもってお不動さまに帰依し、慈悲の心をもって人々に奉仕します」となり、他者を利するために働く菩薩行の大切さをお示しになっています。

お不動さまの手足となって日夜お護りくださる童子

仏典には、お不動さまの眷属として、矜羯羅、制旺迦を含む三十六尊の童子がいると説かれています。
また、その童子一尊一尊には各々一千万尊の童子が付き従っていて、お不動さまのご誓願に従って、日夜休むことなく私たちを御加護くださっているといいます。
童子は、お不動さまの衆生救済のご誓願をわが心としています。言い換えれば、お不動さまを信じ、その御教えの実践に励む私たち不動尊信仰者も、童子と同じ存在であるといえましょう。
お不動さまに付き従う両童子の御姿を胸にとどめ、お不動さまの眷属の一員であるということを自覚し、他者を思いやる心をもって人々のためになるに行いに励んでまいりましょう。

ご質問

と回答

成田山の雅楽について

成田山の伝統芸能「雅楽」について教えてください

お答えします

成田山新勝寺には「成田山雅楽部」という新勝寺職員によって構成される雅楽部があります。雅楽とはアジア大陸から伝わった音楽や舞に、古来から日本に伝わる音楽や舞が融合し、10世紀頃日本において確立された芸術で、オーケストラ形式の音楽としては世界最古の様式と言われており、今日まで伝承されている日本の伝統芸能です。成田山新勝寺においても、開山より1000年以上今日に至るまで伝えられてきました。成田山雅楽部は特別大護摩供や各種大法要において奏楽をしており、毎年10月の第3日曜日に開催される雅楽演奏会では修練の成果を毎年多くの方々にお楽しみ頂いております。

ご質問

と回答

成田山に響く鐘の音について教えてください

毎日響く鐘の音はどこで鳴らしているのでしょうか?

お答えします

大本堂の手前にあります鐘楼(しょうろう)にて朝・昼・夕刻の3回、毎日成田山の僧侶が鐘を撞きます。この鐘楼は1701(元禄14)年に建立されたといわれており、成田市指定文化財に登録されています。鐘本体であります梵鐘(ぼんしょう)は、1636(寛永13)年に鋳造され、その後、戦時中の供出により消失したといわれています。現在の梵鐘は1968(昭和43)年の大本堂建立を記念して人間国宝に認定された香取正彦氏により鋳造されました。

ご質問

と回答

成田山にある文化財について教えてください

成田山には文化財が多数あると聞きましたがどんな文化財があるのでしょうか?

お答えします

成田山境内に建つ堂塔伽藍は、国指定重要文化財である仁王門、光明堂、三重塔、釈迦堂、額堂をはじめ、多くが江戸時代に建立されたものです。当時の建築技術の粋を集め、一流の絵師や仏師が関わっています。特に周囲を飾る彫刻は、「成田山は江戸木彫刻の宝庫」といわれるほど見事なもので、釈迦堂の壁面にはめ込まれた「五百羅漢」は、増上寺(東京都港区)秘蔵の仏画「五百羅漢」の作者である狩野一信が下絵を描き、仏師・松本良山が10年の歳月をかけて彫り上げた傑作です。また、釈迦堂内天井には狩野一信作の「雲龍図」「天人図」が描かれています。

ご質問

と回答

五色の幕について教えてください。

正月に成田山へおまいりした時、大本堂や各御堂に緑・黄・赤・白・紫のあざやかな五色の幕が掛けられていました。この幕にはどのような意味があるのでしょうか。

お答えします

五色はお釈迦さまの御体や御教えを表す色
幕の名称は五色幕といいます。基本的に青、黄、赤、白、黒の五色が用いられますが、世界仏教徒会議で決められた国際仏旗のように黒色の代わりに樺色が使われたり、紫色が使われる場合があります。また、青色を緑色で表す場合もあり、成田山の五色幕も、ご質問のように緑色と紫色の入った幕を用いています。
五色は、インドの五大(地・水・火・風・空)の思想や中国の五行(木・火・土・金・水)の思想に由来しています。 仏教では一般的に、お釈迦さまの御体や御教えを象徴的に表すものとして次のように解釈されています。

青=毛髪の色。
心乱れず穏やかな状態の「禅定」を表す
黄=身体の色。
豊かな姿で確固とした揺るぎない「金剛」を表す
赤=血液の色。
人びとを救済しようとする慈悲心が止むことのない「精進」を表す
白=歯の色。
さまざまな悪業や煩悩を浄める「清浄」を表す
黒=袈裟の色。
侮辱や迫害に怒りを抑えて耐え忍ぶ「忍辱」を表す

成田山の五色幕はお不動さまを表す
弘法大師が伝えられた真言密教における五色は、五仏、五智、五方などを表すものとして、成田山では御堂の荘厳などにも用いられています。
五仏は、大日如来と、その智徳を具体的に表した仏さまである阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来。五智は、それぞれの仏さまが表す智徳です。五方は、中央と東、西、南、北で五仏が配されている方位になります。このように、真言密教での五色は大日如来そのものを表していますから、大日如来を本地仏とする不動明王であるともいえるのです。成田山では、お不動さまと参詣の皆さまとの御縁が深まるよう、正月や年中行事の時などに五色幕を掛けています。

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成田山の講社や奉賛会について教えてください

五月に成田山へおまいりした時、大本堂正面の賽銭箱のところに、○○講、○○奉賛会という名前が書かれた木の札が立てかけてありました。堂内には、たくさんの人がおまいりされていて、○○講と染め抜かれた、おそろいの手ぬぐいをかけている皆さんもいらっしゃいました。この講や奉賛会というのは、どういう団体なのでしょうか。教えてください。

お答えします

成田山には全国各地の不動尊信仰者によって組織される千二百余の講社・奉賛会があります。それぞれ正月や五月を中心に毎年、成田山へ参詣しています。
講社は、同じ信仰を持つ人たちが神社仏閣に共に参詣する組織で、江戸時代に広まりました。現在では、地域や職場の絆を深める場ともなっています。

お不動さまへの継続した参詣で講員みんなが御利益をいただく
成田山講社の歴史は長く、最も古いもので1688年(元禄元年)設立の記録が残っています。現在も講名の最初、または最後に、内陣五講、内陣十六講、龍王講、資堂講などが付く講社は、江戸時代に結成された講社です。
運営にあたっては、成田山参詣を引率する先達、代表者である講元のほか副講元、会計、世話係などの役員を置きます。それぞれ講員の中から選任され、成田山から委嘱されます。
奉賛会は、1968年(昭和43年)の大本堂建立の際に各界有志により結成された大本堂建立奉賛会を前身としています。その後、全国各地の熱誠信徒により支部奉賛会が設立されてきました。
成田山の講社・奉賛会は、町内会や商店会、地域の人たちで組織するもの、会社や職業団体の集まり、また、全国の成田山別院・分院・末寺・末教会に所属する講社などさまざまです。
新たに設立する場合は、認可証、団体名を記した門標、講元または会長と役員の委嘱状を授与します。成田山では、講社・奉賛会名を浄書した祈念名簿を大本堂に奉安し、毎日の朝護摩で、講の隆昌発展と講員・会員皆さまの平安を祈念しています。
また、講社・奉賛会は、御護摩参拝後に光輪閣で成田山伝統の精進料理をいただく坊入を受けることができます。坊入は、御本尊さまにお供えした食材による精進料理をいただいて、お不動さまとの御縁を深め、講員・会員同士が心の交流をはかる大切なひとときです。
講社・奉賛会で参詣する良さは、大勢の人と一緒に楽しく参詣を続けることで、皆ともにお不動さまの御利益・御加護にあずかることがきるところにあります。
講社・奉賛会についてお知りになりたい方は成田山信徒係までお尋ねください。

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成田山の豆まきで、「鬼は外」を言わない理由を教えてください

お答えします

立秋、立冬それぞれの前日を意味しますが、現在では特に立春の前日(2月3日頃)を指します。
古くから節分には鬼が横行して疫病や災厄をもたらすと考えられ、平安時代には朝廷で、鬼を追い払う「追儺」という儀式が行われていました。戦国時代からしばらくの間は衰退しますが、江戸時代に民間の習俗と結びついて復興したといわれています。現在の節分で広く行われているのが、「福は内」「鬼は外」の掛け声に合わせて大豆をまいて、邪を祓い招福を願う豆まきです。しかし、成田山では「福は内」だけで「鬼は外」は唱えません。成田山御本尊不動明王は、広大無辺な慈悲の御心で、この世の生きとし生けるものすべてに等しく救いの手を差し伸べてくださいます。人びとから恐れられる鬼であっても例外ではなく、お不動さまの御加護によって改心し、仏の道へと導かれます。よって、「鬼は外」と唱えることはお不動さまの御心にそぐわないことになりますから、「福は内」とだけ唱えるのです。

成田山の節分会では、御本尊不動明王の御宝前で特別に御加持した大豆と落花生を福豆としてまきます。大豆は、荒地でも生育できる強靱な生命力が邪気を祓うと考えられました。弥生時代に中国大陸から伝来し、肉に匹敵するタンパク源として日本人の命を支えてきました。大豆を食すことで体内の邪を祓い、健康な肉体と生きる力を得ることができます。また、千葉県名産の落花生も、栄養価の高い食物で、さまざまな生活習慣病を予防し、記憶力の増加や血管年齢を若返らせる働きがあるといわれています。福豆に加えて、ご信徒皆さまの一年の平安と福徳を願い、1回の特別追儺豆まき式につき365体の福御守を一緒にまきます。福御守は、お不動さまの持つ利剣をかたどった開運招福の御守です。財布などに入れて、福が訪れるようにお祈りください。特別追儺豆まき式は、11時、13時30分、16時から大本堂前で厳修します。

なお、当日申し込みで参加できる開運豆まきを9時30分、12時30分、15時から大本堂内で行います。参加者には記念品として、芳名を浄書した御護摩札と福御守、福升付きの御福豆を授与します(左写真)。ご希望の方は大本堂ロビーでお申し込みください。福豆と福御守は、境内の各御守受場でもお受けいただけます。また、節分当日に御護摩祈願を受けられた方には、御護摩札と一緒に福豆を授与します。立春を迎えるにあたり、成田山の節分会(32ページに詳細を掲載)に参加して、お不動さまの御加護のもと一年の健康と幸福をお祈りしましょう。

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施餓鬼会(せがきえ)について教えてください

今年に入って両親が相次いで亡くなり、夏に新盆を迎えます。先日、お寺から施餓鬼会の案内状がきました。初めてのことですので施餓鬼会とはどのようなものなのか、教えてください。

お答えします
施餓鬼会(お施餓鬼、または施食会ともいう)は、文字どおり「餓鬼に施す法会」で、飢えと渇きに苦しんでいる餓鬼に水や食べ物をお供えして供養する法会です。宗派によって異なりますので、成田山の施餓鬼会についてお答えします。
成田山においては八月、盂蘭盆会に続いて大施餓鬼会を厳修しています。新盆を迎えた檀徒が参列し、僧侶の読経に合わせて至心に焼香を手向け、亡き人を供養します。
また、子どもの成長と御加護を祈る地蔵盆施餓鬼会も厳修しています。

餓鬼に食物を施して延命した仏弟子阿難
弘法大師が中国から請来した『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』という経典に施餓鬼の由来が次のように説かれています。
お釈迦さまの弟子、阿難が静かな場所で瞑想していると、焔口という餓鬼が現れました。その姿は醜く、身体は枯れ木のように痩せこけ、口の中で火が燃え、喉は針の先のように細く、頭髪は乱れ、爪と歯は長く鋭く、とても恐ろしいものでした。
焔口は阿難に「あなたの寿命はあと三日で尽きる。そして餓鬼道に落ちるだろう」と告げました。
阿難が「どうしたら、その苦をのがれることができますか」と尋ねると、「明日、無数の餓鬼に多くの食物を与え、私のために三宝(さんぼう・仏、法、僧)に供養すれば、その功徳によってあなたの寿命は延び、私は餓鬼の苦を離れ、天上に生まれ変わることができるだろう」と言いました。
阿難は恐れに震えながら、お釈迦さまに「どうしたら、それほどたくさんの食物を用意できますか」と助けを求めました。するとお釈迦さまは、観音さまと阿弥陀さまから授かったという陀羅尼を示し、「この呪文を唱えながら餓鬼に食物を布施すれば、わずかな食物でも、たちまちにたくさんのおいしい食べ物になり、無数の餓鬼を満足させることができるだろう」と教えました。
阿難は、この教えに従って餓鬼に食物を布施して三宝を供養し、寿命を延ばすことができました。

自らが功徳を積むことでご先祖を供養する
餓鬼は、足ることを知らない自分さえ良ければ良いという、飽くなき欲望の持ち主とされています。
『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』のお話は、施餓鬼の由来とともに、過剰な欲望を戒め、分かち合うことの大切さを知り、布施の心を持つようにという、お釈迦さまの御教えを説いているのです。
施餓鬼会では、ご先祖はもちろん、餓鬼だけでなく無縁仏、戦争や災害で犠牲となった方など、あらゆる精霊を供養します。すべての精霊に隔てなく布施を行うことで善根(ぜんこん)を積むことができ、その功徳が先祖に廻って、この上ない供養となるのです。
どうぞ施餓鬼会に参列してお釈迦さまの御教えに触れ、助け合いの心をもって尊い功徳を積んで、亡きご両親の仏果増進(ぶっかぞうしん)をお祈りください。

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五百羅漢について

成田山釈迦堂の五百羅漢に亡き人の顔を探すと供養になるという話を聞きました。五百羅漢について教えてください。

お答えします
羅漢とは阿羅漢の略称で「尊敬される人」や「施しを受けるに値する人」という意味を持ち、主にお釈迦さまの高弟や最高位に達した修行者を指します。
お釈迦さまの入滅後、尊い教えを正しく後世に残そうと、各地の阿羅漢が集められて、「結集」と呼ばれる仏典編集が行われました。最初に行われた結集を第一結集といい、その際、五百人の阿羅漢が集まったといわれ、後に五百羅漢と尊称されるようになりました。厳しい修行を積んだ阿羅漢には、さまざまな神通力が備わっていると伝えられ、人びとの信仰を集めるようになったのです。
成田山の五百羅漢は、江戸時代末期に建立された旧本堂(現釈迦堂)の建立に際し制作されました。江戸仏師三名工と称された松本良山が狩野一信の下絵を基に彫刻したもので、近世の名作といわれています。
表情豊かな五百羅漢の中には、亡き人を思わせる顔立ちの羅漢さまが必ずいるといわれます。そのことから「五百羅漢をお詣りすると亡き人に会える」「供養につながる」という信仰が生まれ、人びとの間に広がっていきました。
釈迦堂の五百羅漢に亡き人の面影を偲び、追善供養の祈りを込めてお詣りください。

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休憩所について

参詣時に休憩できるところはありますか?

平成25年12月に改築した大本堂前休憩所

お答えします
成田山にはご参詣時の休憩にご利用頂ける無料休憩所が2箇所あります。1つは総門前にある信徒会館の1階です。広々とした空間にテーブルと椅子を用意しており、暖かいお茶と冷水をお飲み頂くことができます。もう1つは大本堂の向かいにある休憩所です。この休憩所は開基1080年祭記念事業の一環で平成25年12月に改築いたしました。寒い冬の参詣時に暖をとっていただくことができ、またご休憩中のささやかな楽しみとして御守のエピソードや境内ご案内、成田山で制作した様々な映像をご覧いただくことができます。御護摩時間までの待ち時間や境内散策時のご休憩など、ご自由にご利用ください。(バリアフリーに対応しています)

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