成田山新勝寺 千葉県成田市成田1

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第53回 成田山『智光』小・中学生作文コンクール 審査結果

第53回 成田山『智光』小・中学生作文コンクール
審査結果

本年のコンクールには、課題・自由題合わせて2,857篇の作文が寄せられました。
ご応募くださいました各学校の皆さまに厚く御礼申し上げます。
厳正な審査の結果、下記のとおり各賞を決定いたしました。

最優秀作「成田山貫首賞」

課題

小学生 成田高等学校付属小学校4年 清野桃愛
中学生 千葉県富里市立富里北中学校1年 有木未羽

自由題

小学生 成田高等学校付属小学校6年 木内結子
中学生 千葉県松戸市立和名ケ谷中学校1年 千野夏実

優秀作「成田山智光賞」

課題

小学生 成田高等学校付属小学校5年 丹治暖翔
小学生 大阪府寝屋川市立第五小学校6年 水江理予
中学生 千葉県柏市立土中学校3年 岡田菜々海
中学生 千葉県千葉市立更科中学校3年 加藤空楠

自由題

小学生 茨城県小美玉市立納場小学校3年 川島咲桜
中学生 成田高等学校付属中学校1年 川島漣斗

入選「成田山賞」

課題・自由題

小学生 岡野太洋(千葉県2年)、関根颯人(埼玉県2年)、小林碧颯(千葉県3年)、畠山うらら(埼玉県3年)、金井琴音(埼玉県4年)、立岡菜乃葉(茨城県4年)、福田葵衣(大阪府4年)、宮城叶仁(千葉県4年)、尾上晴南(大阪府5年)、松平とわ(千葉県5年)、松本幸多郎(埼玉県5年)、宮本岳翔(大阪府5年)、杉本珠音(大阪府6年)、多田ひかり(千葉県6年)
中学生 井上咲希(大阪府1年)、内山愛梨(埼玉県1年)、河北夕萌(千葉県1年)、高松朔太郎(千葉県1年)、田村桃菜(千葉県1年)、寺井湊祐(千葉県1年)、德永楓良(千葉県1年)、豊永穂乃(千葉県1年)、細田真央(茨城県1年)、森愛英(千葉県1年)、渡邊紅桜月(茨城県1年)、宇都木優凜(千葉県2年)、海老原聡太(千葉県2年)、小澤琉(千葉県2年)、郡司武留(千葉県2年)、櫻田れい(千葉県2年)、竹馬優月(千葉県2年)、鳥取ちまき(埼玉県2年)、布山澄佳(千葉県2年)、渡邊雛子(東京都2年)、阿部航(千葉県3年)、石川将吉(千葉県3年)、猪八重翔子(千葉県3年)、牛草美桜(千葉県3年)、北山千愛(千葉県3年)、佐竹美穂(千葉県3年)、神藤芹奈(茨城県3年)、立尾日桜里(千葉県3年)、髙橋莉央(千葉県3年)、谷間心春(千葉県3年)、羽深千紘(茨城県3年)、濱屋敷琥(千葉県3年)、藤本菜々子(千葉県3年)、堀江結良(茨城県3年)、山﨑祐矢(千葉県3年)、山本創結(千葉県3年)

最優秀作「成田山貫首賞」 課題「私のヒーロー」(小学生の部)

『私のヒーロー』 成田高等学校付属小学校 4年 清野桃愛

私のヒーローは、私が通院しているリハビリ病院の作業りょうほうしの先生です。私は、生まれつき、右手と右足がうまく動かすことができません。小さいころは、手が思い通りに開くことができず、つかめないものがあったり、歩くとき、どうしてもひきずってしまうので、歩きにくいと感じていました。
 ようち園のころ、リハビリの病院で、その先生と出会いました。最初にびっくりしたことは、その先生の自己しょうかいでした。
「私は、目があまり見えません」
と言いました。それを聞いた私は、
「えっ」
とおどろいたことを今でも覚えています。その先生は、子供のころから目が悪く、何度も手じゅつをしたことや、自分の困った体験を私に話してくれて、私がリハビリでうまくいかない時に、やさしくはげましてくれる先生です。
 リハビリでは食事中に右手でお茶わんが持てる様になりたいとかマリオカートがうまくなりたいとかテニスでサーブをうまく打ちたいなど、日常でできない事を相談すると、一緒に考えてくれて、できる方法を教えてくれます。先生はいつも全力で練習に付き合ってくれますが目が本当に悪いので、テニスのボール投げの練習した時は、私の投げたボールがよく見えなくてびっくりしてしまい、
「先生の一番苦手な分野だから、本気はだめ」とわらって言いながらも、私のやりやすい方法を探してくれます。作業していく中で、どんどん小さな物を作っていくリハビリがあります。時間を計って三十秒で作業していくので、少しきんちょうします。そんな時先生は、
「こんな小さなものを下に落としたら、先生、探せないよ。しん重にね」
と、きんちょうをといてくれます。いつも私を助けてくれる先生ですが、大変そうな時があります。それは時計を見る時です。目に当たりそうな所まで時計を近づけて時間を見ます。そんな時は私が時間を教えてあげたりします。先生は「ありがとう」と言います。
 私も手足がうまく動かすことができず、つらい時もありますが、左手はなんでもできるし、目もよく見えるので、先生の方が大変な時もあります。そんな先生が、私のリハビリの先生として、私のことを一番に考えて、いっしょにリハビリをしてくれることは、本当にすごいと思うし、目が少し見えなくても仕事をしていることは、右手右足がうまく動かせない私にとっても自信にもなるし、しょう来にきぼうを持たせてくれる人だと思います。
 自分が困った経験をいかして明るく、話すことで、困っている人を助けたり、なごませたりする先生のようになりたいです。そんな先生は私のヒーローです。

最優秀作「成田山貫首賞」 課題「私の目指す人」(中学生の部)

『私の目指す人』 富里市立富里北中学校 1年 有木未羽

私には目標にしている人がいる。その人との本当の出会いは小学校の入学式だったが、私にとっては忘れられない、三年前の出来事がその人との「出会い」なのではないかと思っている。
 その出来事とは三年前の私が四年生のときである。その日は社会で千葉県について調べてプレゼンをするメンバーを決めていた。色々割り振りが行われ、その人と私ともう一人のクラスメイトの三人でペアになった。私はもともと引っこみ思案で人見知りなので友達もほとんどいなく、人と距離を置きがちだったので誰かと顔を合わせることも少なかった。だからその人と顔を初めて合わせて、改めて顔見知りという関係になれた気がした。
 その人は私とは本当に真逆の人だった。暗い私とは違い、明るく、友達の少ない私とは違い、とても多い人だった。頭も良くて、運動神経もいい人だったので話す前から私はその人に秘かに憧れを抱いていた。でも話し始めてから、その人が「憧れの人」から「目指したい人」に変わった。プレゼンのメンバーが決まった後、話し合いをするために家に呼んでもらった。終わった後も一緒に遊んでくれ、交換ノートも行った。休み時間、いつも教室で一緒に話してくれた。
『これは束の間の、幸せな時間なのかな?』と私はずっと思っていた。でもあれから三年間、その関係は変わることなく卒業式をむかえ、今も一緒に話すことが多い。
 卒業式が終わり、小学校生活に幕を閉じた後、気付いた事があった。その人は私に「初めて」をくれていたことを。初めて友達と遊んで楽しいと思い、初めて友達と話す嬉しさを知り、学校が楽しいと思えるようになった。数えきれないほど私に「初めて」をくれていたと思った瞬間、私の中で何かが変わり、私もその人みたいになりたいと、今度は支えてあげる側になりたいと思った。
 その日から私は積極的という言葉を大事にしている。行動力を上げ、何かあったら瞬時に動ける、積極力を上げることを目標にし、頑ばっている。私にはとても高いハードルだけどいつかこえられると信じて。そして昔の私のような人や、困っている人がいたら、背中を押してあげられるようになりたい。そしてもし、その願いが叶ったらその人に伝えたい。背中を押してくれてありがとう。学級副委員になったとき、手を借してくれてありがとう。卒業式のとき、となりにいてくれてありがとうと、私の言葉でちゃんと伝えたい。

最優秀作「成田山貫首賞」 自由題(小学生の部)

『私の夢』 成田高等学校付属小学校 6年 木内結子

私は小さいころからディズニーが大好きです。ディズニーはいつも私に夢と希望を与えてくれます。そして行くたびに新しい発見があります。私はそんなディズニーの魅力にひかれ、いつしかディズニーで働きたいと思うようになりました。
 私は今、ディズニーを経営しているオリエンタルランドの商品開発部で働きたいと思っています。商品開発部の良い所は、自分が開発した商品で喜んでもらえている所を見ることができるので、やりがいがある所です。最初は私も自分がディズニーで何をやりたいのか分かりませんでしたが、ある日テレビで商品開発部の人が自分が開発した商品を説明している所を見て、自分がディズニーでやりたい仕事はこれだ!と思うようになりました。それから商品開発について色々調べていくうちにもっと興味がわいていき、商品開発とアトラクション開発は似ている所があると思うようになりました。
 私がそう思うようになったきっかけは、二〇二〇年に誕生した「美女と野獣魔法の物語」の開発現場をテレビで見たことです。最初は商品とアトラクションの開発は全くの別物だと思っていましたが、開発者が仕かけを作った訳や、キャラクターがよりリアルに見える工夫などを語っているのを見て、どちらの開発も人を喜ばせたいという思いで作っていることを知りました。私はそのことを知ってからは、商品を手に取ったり、アトラクションに乗る時に、開発者がどういった思いを込めてつくったのか考えるようになりました。そして商品の形やデザイン、今まで気にも留めなかった何気ない壁の模様や装飾、商品やアトラクションの仕かけやストーリーを見つけたり知ったりするたびに感動があり、すごく楽しいです。やっぱりディズニーは夢の国です。
 五年生の時、総合の授業で興味のある職業についている人に手紙を出すという授業がありました。私はチャンスだと思い、商品開発に興味を持つきっかけになった人に、聞きたいことをたくさん書いて手紙を出しました。返事が来るかドキドキしながら待っていると、しばらくしてから返事が届き、私が質問したこと全部に一つ一つ丁寧に答えてくれていました。そのことがとても嬉しく、その手紙は私の一生の宝物になりました。そして手紙を送ったことにより、もっと商品開発の仕事に魅力を感じるようになりました。
 私の夢はディズニーの商品開発をすることです。夢に向かって努力し、いつかディズニーの商品開発部でやりがいを感じながら働きたいと思っています。そして自分が開発した商品でみんなを笑顔にできたら嬉しいです。

最優秀作「成田山貫首賞」 自由題(中学生の部)

『これからの未来』 松戸市立和名ヶ谷中学校 1年 千野夏実

AIは色々なところで活躍している。例えば工場における不良品検知や掃除ロボットとして使われたり、最近ではスーパーやレストランなど身近なところでもよく見られるようになった。AIは人間のすることを完璧にこなしているように思える。けれど、だかといってAIが発達した社会が良いことばかりなのだろうか。
 私は絵を描くことが好きだ。小学生から描き始めて以来、今でも描いている。絵を描くことが好きといっても、何より時間をかけて描く絵が一番楽しいと思う。時間をかけて描くというのは、疲れたり、しんどくなるイメージがあるかもしれないけど、絵はそれだからこそ楽しいのだと思う。
 前の春休み中、友達と年賀状交換をしようと約束してはがきを書いたことがあった。姉も友達に同じく年賀状を書いていたのだが、ただ文を書くだけでなく、そのはがきに友達がリクエストした絵を描いてあげていた。私はそれに興味をもって自分も描くことにしたのだが、それはすごく大変なことだった。描き終わるまでどのくらいかかっただろう。すごく時間がかかり、途中どっと疲れて嫌気がさし、描かなければ良かったと後悔した。けど最後まで手間をかけて描き続け、完成した時には今までにないくらいの達成感があった。手間をかけて描いた絵は本当に満足のいくものとなり、達成感よりも嬉しさと喜びで満ちあふれた。その勢いで残りの絵も無事描き終えたのである。このことをきっかけに私は、絵の楽しさを改めて実感した。
 だが、そんな絵はこれからの時代、描く必要などなくなるだろう。その大きな原因は「AI」だ。今、キーボードを入力するだけでAIが自動でイラストを描いてくれるアプリがある。そんなアプリがあることをテレビを観て知り、私は驚きと恐怖を覚えた。確かに苦労もなく、クオリティの高い絵を描いてくれるAIは便利なのかもしれない。でも、私はその絵に魅力など感じなかった。もし、友達から絵をもらえるとして、AIが描いた絵と友達達が自分のために一生懸命描いたと伝わってくる絵、どちらをもらったら嬉しいだろうか。絵は時間をかけてこその楽しさがあるといったが、心を込め、時間をかけて描いた絵こその魅力もあると私は思う。このことは絵だけではない、他もそうだ。写真だって今や、撮らなくてもAIがあれば簡単に作れる。しかし、それを使い、偽の画像を作って悪用している人だっている。AIの発展が進めば、その分できる職業も減ってしまう。AIは知らずしらずのうちに人々の夢をうばっているのだ。そして、便利になるにつれ、この世界は悪いことだってたくさん増えていくのだろう。私達はこれからの時代、どのようにAIと向き合っていけばいいのか、皆で考えていくことが大切なのだと私は思う。

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