2011年(平成23年)3月11日、東北地方を中心に甚大な被害を及ぼした東日本大震災が発生しました。この日に合わせ、伊藤照節寺務長導師のもと、全国の自然災害で犠牲となった方々のご冥福と被災地の復興を祈る全国災害物故者総供養会を厳修し、供養の誠を捧げました。
また、地震発生時刻の午後2時46分には追悼の梵鐘が打たれ、参詣者は静かに手を合わせていました。

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全国災害物故者総供養会
2011年(平成23年)3月11日、東北地方を中心に甚大な被害を及ぼした東日本大震災が発生しました。この日に合わせ、伊藤照節寺務長導師のもと、全国の自然災害で犠牲となった方々のご冥福と被災地の復興を祈る全国災害物故者総供養会を厳修し、供養の誠を捧げました。
また、地震発生時刻の午後2時46分には追悼の梵鐘が打たれ、参詣者は静かに手を合わせていました。
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常楽会
釈迦堂にて岸田照泰貫首大導師のもと常楽会を厳修しました。
2月15日はお釈迦さまが入滅された日です。お釈迦さまは約45年間にわたる伝道の旅の途中、クシナガラの地で涅槃(ねはん)に入られました。「涅槃」は、梵語で「ニルヴァーナ」といい「吹き消すこと」という意味です。煩悩の火を吹き消して心が平安になった理想の境地を指します。
成田山では、毎年2月14日に御逮夜法要を、15日に常楽会の法要を厳修しています。この2日間釈迦堂に、お釈迦さま入滅の時を描いた涅槃図を奉安し、最後の教えである「仏遺教経」をお唱えします。
法要では遍照講下総印旛教区連合会によるご詠歌の奉詠が行われ、参列したご信徒が焼香し、ご遺徳を偲びました。
中興第十五世貫首照勤大和尚百回忌
照勤大和尚は1869年(明治2年)千葉県印旛郡のお生まれ。1894年、25歳の若さで成田山貫首となられ、その後、1898年から約2年間にわたって米国やヨーロッパ諸国を歴訪されました。帰国後、成田山の発展につながる文化的・社会的な事業として「成田山五事業」に着手され、成田図書館の設立をはじめ、成田中学校、成田幼稚園、成田高等女学校、(現在の成田高等学校)、そして成田山感化院(現在の成田学園)の運営と、5つの事業を完成され、成田山の興隆と地域の文化、教育事業に取り組まれました。
本日、照勤大和尚百回忌にあたり岸田照泰貫首大導師のもと法要を厳修。仏果増進を祈念し、その御遺徳を偲びました。
秋彼岸法要
9月23日の秋分の日にあたり、成田山では釈迦堂において岸田照泰貫首大導師のもと彼岸法要を厳修。歴代先師をはじめ、講社奉賛会、檀家、篤信物故者の仏果増進を祈念し、故人の冥福を祈りました。
大般若会(だいはんにゃえ)を奉修
光明堂において大般若会(だいはんにゃえ)を奉修しました。この法会は『大唐西域記』で知られる玄奘三蔵が翻訳した経典『大般若経』600巻を職衆僧侶が転読し、天下泰平・万民豊楽・五穀豊穣・息災延命を祈願するものです。毎年正月、5月、9月の8日に厳修し、経典を転読する際に起こる風にあたると無病息災の御利益が受けられると伝わっています。
地蔵盆施餓鬼会
地蔵菩薩のご縁日である24日、伊藤照節寺務長導師のもと餓鬼に飲食物を施し、その功徳によって幼くして亡くなった精霊、有縁無縁一切の精霊を供養する地蔵盆施餓鬼会を奉修しました。
開山忌大法会
成田山を開山された寛朝大僧正のご命日にあたり、開山忌大法会を岸田照泰貫首大導師のもと厳修しました。
法要には成田山総代をはじめ多くのご信徒が参列。代表者による献花と遍照講下総印旛教区連合会による御詠歌の奉詠が行われ、御本尊不動明王と開山寛朝大僧正の鴻恩に感謝の祈りを捧げました。
弁財天祭礼大法会
岸田照泰貫首大導師のもと弁財天祭礼大法会を厳修しました。成田山の弁財天は財福・智慧・音楽をつかさどる仏さまで古くから多くの信仰を集めています。大法会では成田山総代をはじめ、講社、特縁のご信徒が参列し献花。年に一度の特別開扉に大勢のご信徒がおまいりしました。
御本尊上陸聖地報恩大法会
岸田照泰貫首大導師のもと山武郡横芝光町尾垂ヶ浜にて御本尊上陸聖地報恩大法会を厳修しました。尾垂ヶ浜は、1080余年前、成田山を開山した寛朝大僧正が東国の乱平定祈願のため弘法大師敬刻開眼の不動明王御尊像を奉持して上陸された地です。波切不動尊御宝前で法楽を執り行い、報恩謝徳の誠を捧げました。
大般若会
光明堂において天下泰平・万民豊楽・五穀豊穣・息災延命を祈願する大般若会を伊藤照節寺務長導師のもと奉修しました。
大般若会は、大般若経転読会ともいわれ、大般若経600巻の経題を読み上げ、経典一巻一巻を転読する法会です。転読する風にあたると、一年間無病息災の御利益をいただけると伝わり、多くの方が参列されました。