最優秀作
課題
小学生千葉県五年鈴木 もも
中学生東京都二年米澤 綾花

自由題
小学生千葉県一年若月 晴臣
中学生茨城県一年小林 千紘
優秀作
課題
小学生千葉県四年赤羽 颯太
大阪府五年中村 心紀
中学生埼玉県三年盛一 紀咲紀
茨城県一年柳田倫太郎

自由題
小学生茨城県五年飯田 拓海
中学生千葉県二年倉波 香佳
入選作
課題・自由題
小学生 阿波﨑美逢(千葉県一年)、早川 葵(千葉県二年)、橋本花梨(千葉県三年)、平山小絵(千葉県三年)、渡邊紗梛(千葉県三年)、加納悠彩(千葉県四年)、名取香葉(千葉県四年)、舩木苺衣(千葉県四年)、岡崎百合子(千葉県五年)、篠田実咲(千葉県五年)、染谷航汰(千葉県五年)、玉井碧羽(千葉県五年)、西本日菜香(茨城県五年)、白井雅姫(千葉県六年)、橋本泰平(千葉県六年)、三橋ゆずな(千葉県六年)、山田依茉(千葉県六年)、松村瑠衣(大阪府六年)、三木めい(大阪府六年)
中学生 浅野 亘(千葉県一年)、齋藤麻帆(千葉県一年)、髙橋美乃莉(千葉県一年)、中嶋凜夏(千葉県一年)、山本渚紗(千葉県一年)、赤川 凛(東京都一年)、猪狩眞優(東京都一年)、岩岡千優(茨城県一年)、一ノ宮温香(千葉県二年)、佐々木夢叶(千葉県二年)、宮坂文香(千葉県二年)、山室優結(千葉県二年)、吉井美咲(千葉県二年)、飯生萌花(千葉県三年)、礒邉凪咲(千葉県三年)、伊東蓮太朗(千葉県三年)、木下雄人(千葉県三年)、小暮紗羅(千葉県三年)、髙橋美有(千葉県三年)、田中 鈴(千葉県三年)、初芝雪乃(千葉県三年)、阿部桃乃(東京都三年)、谷口凜安(東京都三年)、中平州哉(東京都三年)、林戸 海(東京都三年)、稲生桜乃(茨城県三年)、小澤果歩(茨城県三年)、菅原 心(茨城県三年)、中村萌香(千葉県二年)、守屋大地(千葉県三年)、志村 柚香(東京都二年)
課題

千葉県 小学校五年 鈴木 もも

鶴姫のように生きたい

 私のうれしかったこと。それは、今年の夏、私があこがれている大祝鶴姫が育った大山祇神社に行けたことです。ずっと行きたいと思っていた場所です。
 広島県尾道市と愛媛県今治市の間にある六つの嶌をつなぐ全長六十キロメートルのしまなみ海道。その六島のうちの一つ、大三島に大山祇神社はあります。私が、大山祇神社と鶴姫を知ったのは、母からもらった一冊の本でした。母はよく、
「六年生になったら歴史の勉強が始まるから、今から少しずつ歴史の本を読んでみたら。」
と言っていました。
「うーん。わかった。」
と返事をしながらやる気を見せない私に、表紙のカバーが可愛いお姫様の絵の「戦国姫」という本をプレゼントしてくれました。
 その本は、戦国時代に生きた姫達にスポットライトを当てて書かれた本で、歴史に興味がなかった私をどんどん引き込んでいきました。その中に、大山祇神社第三十一代神職である大祝安用と、その妻妙林の間に産まれた大祝鶴姫のことが書かれていました。本によると、鶴姫は、「勇ましくありたい。」と幼い頃から武芸に興味を持ち、四才から弓や刀の練習をしていたそうです。
 鶴姫が生まれた時代は、世の中が戦いに明けくれていた戦国時代。鶴姫は女性なのに大三島を守るため、十六才で戦いに出陣します。その時、鶴姫が身に付けていたのではないかと言われている鎧が大山祇神社の宝物館にあり、その鎧を見ることも目的の一つでした。胸の回りが大きくふくらみ、ウエストが細く引きしまっていて、草摺という部分が他の鎧より長く作られていたその鎧は、女性でなければ着られない物でした。
 鶴姫の鎧は、悲しい雰囲気に包まれているように感じました。どのような思いでこの鎧を身に付けたのか。どれだけの悲しみを見てきたのか。何も不自由なく生きている私には想像もつきません。強さと勇気、行動力をかねそなえている鶴姫は、何事にも慎重で臆病な私から見ると、とても素敵であこがれる女性です。私も、これから先の人生で何かを守るため、戦わなくてはならない時が来るかもしれません。それが、家族、学校、病、将来の目標に向かう時など何かは分かりませんが、その時は鶴姫のことを思い出し、強くたくましく、自分をしっかり持った女性でありたいと思います。
 鶴姫の話は作られたものではないかと言う学者もいるそうですが、私は本当の話だと信じています。
 大山祇神社のご朱印帳にご朱印もいただきました。今、私の一番の宝物です。鶴姫も見たであろう瀬戸内海の海は、とても美しく、また来たいと思いました。


東京都 中学校二年 米澤綾花

うれしかったこと

 ある時、尋ねられたことがある。「可愛いね」と言われるとうれしのか、それとも「すごい、できるね」と言われた方がうれしいのか……。どちらも、うれしいことはうれしいがしっくりこなかった。よくよく考えたところ、私が言われて一番うれしい言葉は「一緒にいて楽しい」だ。「居心地がいい」と言われるのも、とてもうれしい。
 「可愛い」も「できる」も、どちらもうれしい言葉だ。ただ、可愛くなければだめなのか。可愛くなくなってしまうときもあるのでは。同様に、いつもできていなければならないのか。できないときもあっていいのでは。どちらの言葉も、基準を満たしてようやく褒められている気がする。しかし、「一緒にいて楽しい」は、特別なことをしなくても、ただ私がそこに存在しているだけで楽しいと言ってくれている。人と人との関わりの根底にある、一番大切な言葉を言ってもらえた気がする。
 私にそのような最高の言葉をくれた人は、恐らく深く考えることはなく、何気なく感じたことをそのまま伝えてくれたのだと思う。だから、何故「一緒にいて楽しい」と言ってくれたのか、尋ねることはしない。尋ねはしないが、とてもうれしかったから「一緒にいて楽しい」と感覚の部分でより感じてもらえるよう、ちょっとした努力をしてみようと思った。
 まず、言葉は優しさも与えるけれど、凶器にもなり得る。そして、放つ言葉は自らにその意図がなくても、そんなつもりはなくても、大いに人を傷つけるときがある。だから、相手にどのように伝わるのか、優しい感受性をもって想像するのだ。とは言え、人を傷つけることを恐れて自らの思いを伝えることをやめるのはよくない。あのとき本当はこう思っていたのにと後悔してしまう。感情を抑えすぎることは、相手に誤解を与える。だから、マイナスの感情も伝えたらいいのだと思う。伝えるタイミングと、言葉と態度を考慮すればいい話だ。これは母から教わったのだが、もしも傷つく何かをされたのなら、「あなたはひどい」と責めてはいけないと。そして、ぐっと感情をこらえ何も言わず我慢するのもよくない。その代わりに「あなたのこういった言葉(行為)で、私は傷つきました。悲しいです。」と話すのはどうかと。これなら相手を直接的には責めていない。場面によって変える必要はあるが、取り入れたいと思った。
 人の価値、それから私の価値は、どうあろうと変わらない。私と隣の人の価値も変わらない。ただ、人と人が関わり合うこの社会に生きる以上、基準があって評価し、され合うことは必然だ。が、たまに少し立ち止まり、あの、もらってうれしかった言葉を思い出す。誰かにそう思ってもらえる、そして誰かに対してそのように思える努力は続けたい。


課題

千葉県 小学校一年 若月 晴臣

かん字っておも白い!

 がっこうがなつ休みになるすこしまえに、おかあさんがぼくに「かん字じてん」をくれました。じてんをひらくと、たちまちぼくはかん字ワールドに入ってしまいました。
 かん字ってすごい。ひとつのもじにぎゅっといみがこめられていて、その「字」ができあがるのに、なりたちといって、ちゃんとりゆうがあるのです。たとえば田んぼの「田」の字。あぜみちがあって、しかくの中にいねがはえていて、そのしかくとしかくがくみあわさって、「田」の字ができます。田んぼをみたままです。「雨」という字も、字の中のてんてんが雨つぶそのものです。それに、なんと、「雨」と「田」ががったいすると、「雷」かみなりになるのだから、すごい。雷の田のぶぶんは、田んぼといういみではないそうですが、雨と田、あたまの中で、ひろいひろい田んぼの上の空に、雷がピカッとひかるようすがうかびました。ドーン!という音まできこえるくらいです。田がでたついでに、「田」と「力」で「男」になるのもおも白いです。そうだね、力しごとは男子にまかせてください!あと、お日さまと、月で「明」、明るいです。お日さまと、青だと「晴」、ぼくの名まえの一もじです。青い空です。
 こうして、もじともじをくみあわせると、どんどんかん字ができます。かっこいいです。かん字には、ぶしゅというぶぶんがあって、たとえば「氵」さんずいをつかうと、水にかんけいしているんだよ、とかん字がいっています。「海」「泳」「波」など、いっぱいです。かん字ひとつで、みただけで、どんなものなのか、どんなことなのか、おしえてくれるかん字はとてもしんせつで、ぼくは大すきになりました。
 こんなにおも白いかん字をぼくはたくさんおぼえて、かん字はかせになりたいです。


茨城県 中学校一年 小林 千紘

水害から学んだこと

 僕が住んでいる常総市は、おととしの九月に鬼怒川がはんらんし、水害を受けました。
 その日、僕は、朝起きて雨が降っているとしか思いませんでした。なのに、お母さんが心配な顔をしていたので、「どうしたの?」と聞くと、「鬼怒川がはんらんしそう」と言いました。学校も休みになり、僕もだんだん心配になっていました。そのまま時間が過ぎていき、鬼怒川の水位も上がってきた時です。お母さんが避難しようと言いました。祖父は、大丈夫だと言いましたが、それでも危険と判断し、近じょの人といっしょに避難しました。その時僕は、自分が逃げることだけを考えていました。僕の近じょに住んでいる人は、お年寄りが多いので、お母さんがいっしょに避難しようと言いました。こんな大変な時でも、自分のことだけではなく、人のことを考えられるお母さんがすごいと思いました。そして、僕たちは市役所に避難しました。
 市役所には、赤ちゃんから、お年寄りまで、たくさんの人が来ていました。友達もいたので遊んでいましたが、夜になり八間堀川がはんらんし、市役所にも、たくさんの水が入ってきました。その時はしえん物しも届いていなかったし、なんの情報もなかったので、ものすごく不安でした。そんな時に自衛隊の人が来てくれて、とても安心しました。翌朝になるとようやくしえん物しが届きました。その時食べたパンがとてもおいしかったのを、今でも覚えています。その時お父さんが自分たちも、座っているだけでなくて、何かみんなのためにできることをしようと言いました。始めは、ゴミ拾いをしました。はずかしくて、だまってふくろをひろげているだけでしたが、なれてきて、声をかけてゴミを集めるようになりました。集めていると、みんなが、「ありがとう」「ありがとう」と声をかけてくれました。とてもうれしかったし、力になりました。その日からボランティアで何かをする人がふえました。団結しているところは、すごいと思いました。水で囲まれた市役所からボートで逃げることができました。家に帰っても電気も水もなく、どうなるのかとますます不安になりました。夜、一本のローソクを囲んで家族で今後のことを話していると少しづつ力がわいてきて、両親の言う通り、水が入った人の家の手伝い、近じょの人たちに水、食料を配るボランティアを始めました。
 水害が起きてしまったのは、とても残念でしたが、自然にみんなで立ち向かうすがたは、とてもかっこよかったしうれしかったです。これからも、自分以外の人にも、そして自分も、うれしくなる行動を続けていきたいと思いました。

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