うれしかったこと
人にやさしくしてもらったときや欲しいものが手に入ったとき、願い事がかなったときなど、誰にでも「うれしい」という気持ちになったことがあると思います。自分一人だけではなく、家族や友だちと一緒に「うれしい」と思ったこともあるでしょう。また、相手から「うれしい」という言葉をかけられたことがある人もいるのではないでしょうか。
あなたは、どんなとき、どんな出来事に「うれしい」と感じましたか。これまでのうれしかったことを思い出し、そのときに感じたことや気づいたことを作文にしてみましょう。
現在一番関心のあること
400字詰め原稿用紙3枚以内。小学校1〜3年生は2枚以内
2017年9月20日
『智光』12月号およびホームページにて掲載
〒286-0023 千葉県成田市成田1
成田山『智光』作文コンクール係

前年度の最優秀作をご紹介します

課題

小学校五年(当時) 飯田将生

勝つという目標に向かって

 ぼくが今がんばっていることは野球です。成田市内のチームに所属し、毎週末と祝日に朝から夕方まで練習をしています。平日は毎日二百回の素振りが日課です。
 日々の練習の成果を試すことができるのは、練習試合や公式戦です。メダルにはまだ手がとどきませんが、少しずつ勝てるようになってきました。
 いちばん最近の大会はJA成田市旗杯争だつ少年野球大会でした。結果は三回戦敗たいでしたが、一回戦は佐倉の強ごうと言われるチームに五対三で勝利。二回戦は先発ピッチャーを任され、無失点、十対〇で勝ち、がんばりました。三回戦は六回の表まで五対三でリードをしていましたが、そのうらの相手の攻げきで外野へのヒットを三本打たれ、逆転されてしまいました。
 思いもよらない突然の展開に、このときは負けた感覚もありませんでした。翌週、決勝戦があり、逆転負けをしたときの相手チームがゆう勝したと知り、「ぼくたちがゆう勝できたかも……」と、あとから悔しさがこみあげてきました。
 「悔しくないの?」お母さんに言われました。お母さんは毎週末、練習や試合の応えんに来てくれます。食べやすく工夫されたお弁当には力が出て、いいプレーが出るときもあります。くさい、きたないと言いながらも、ユニホームをきれいに洗ってくれます。がんばっていたのはぼくだけじゃない、ぼくが野球をするためにお母さんもがんばってくれているんだと気づきました。お父さんもそうです。仕事をしてつかれて帰ってきているのに、自主練習につき合ってくれるお父さんにはとても感謝しています。練習のときにグランドの整びをしてくれたり、一緒に走ったり、ノックをしてくれることもあります。
 がんばったのもくやしい思いをしたのも自分だけじゃない、他にも同じ気持ちでがんばった人がたくさんいます。チームメイトです。
 六年生と一緒に出場できる大会は残りがわずかとなってしまいました。一つでも多く勝ち進み、このメンバーでゆう勝したいです。そのために、たくさん声をかけ合って、チームをもり上げていこうと思います。


中学校二年(当時) 小暮紗羅さん

今がんばっていること

 祖母が病に倒れた。家族の生活が一変した。父親が単身赴任で不在である私の家で、現役で働いていた祖母が入院するということは、母や私の負担が大きくなるということだ。私と母は毎日病院に通いつめ、その上、仕事や家事は、私達がしなければならない。洗濯、料理の手伝い、掃除……初めは、おもしろ半分はりきっていた。必死だった。しかし、徐々にそれは義務となり、自分の時間がなくなっていることに苛ついた。友達と一緒に帰ることもできない。そうして、私は人や物にあたるようになってきた。学校では、同級生が部活動に打ちこんでいる。登下校も休日も皆一緒で楽しそうだ。みんなで一つの目標に向かってがんばっている。そんな友達の「頑張る姿」はうらやましくて、キラキラして見えた。「おばあちゃんが入院しなければ、私もあんなふうに友達とがんばれたかも……」とさえ思い始めた。「これじゃあ主婦じゃん」と悲しくなっていた。
 「ん?主婦?」この考えは、主婦に対して失礼だ。世のお母さん達は大変な努力をしているではないか。そうだ。自分のためではなく、家族のために一生懸命に働くお母さん達は一番がんばっているんだ! 自分を情けなく感じ、惨めな気持ちにさえなっていた私が小さな自信を持てた瞬間だった。
 頑張るということは、自分の目標を達成するために一生懸命努力することだ。だから、一般的にも部活動に励む友達や受験生は「頑張ってる人達」に見えるし、実際にがんばっているのだろう。では、私のしていることは何だろう? 目標? 努力? そんな風には思えない。けれども、誰かのために自分の時間を削ってつくすことも「がんばっている」ことになるはずだ。なぜなら、「自分のためではない」はずなのに、なぜか達成感やほんわかした気持ちが私の中に残るからだ。
 どんな状況におかれていても、人は「頑張る」ことができる。そして頑張った人だけが得られる「清々しさ」を感じることができる。それが頑張ったことへのご褒美だ。勝利や合格、達成だけがご褒美ではない。「頑張る」とは、「我に張る」の変化らしい。「私のために頑張る」ということだ。ならば、「目標」や「終着点」のない私の頑張りは、「人の為にがまんして」やるのではなく「自分のためにすすんで」やればいいのだ。
 祖母もじきに退院するだろう。そして次は介護の生活になる。恐らく今より大変な状況になるかもしれない。自分が何かしている時や何かしたい時、人のことを優先してやることは、想像以上にストレスになる。しかし、それもこれも全て、自分の成長につながっているはずだ。私の青春は他の友達のそれとは少し違うものになるかもしれない。しかし、後悔のないよう、自分のすべきことを精一杯がんばってみようと思う。


課題

小学校五年(当時) 坂本昂大

初めての銅鐸づくり

 昨年、初めて奈良、東大寺にある大仏さんを見ました。あまりの大きさに首が痛くなり、どこから見ればよいのか、目が泳いでしまいました。そして、こんな大きい物をどうやって作ったのか、考えもつかず、不思議に思いながら大仏殿をぐるっと回っていきました。その大仏さんは銅約五百トン、錫約八トン、水銀約二・五トン、金約四百三十キログラムを使って作られました。大仏づくりにたずさわった人は最低二百万人から最大二百六十万人と言われて、完成まで十二年かかったそうです。
 そして、この大仏さんは、日本一大きい鋳造物です。鋳造とは、金属を鋳型に流し込み、物をつくることです。この鋳型というのは、鋳物を作るために溶かした金属を流し込む型のことです。鋳造で作られた昔の物々には銅鐸や銅鏡、銅銭などがあります。その中でも、大きくてはく力がある鋳造物が大仏さんでした。本やテレビでは鋳造のことは分かりましたが、いつか作れないかと思っていました。
 すると国立歴史民俗博物館の夏休み企画に「鋳造づくり」があったので、ぼくは銅鐸を作ることにしました。博物館には珍しい銅鏡や銅銭などがたくさん展示されていました。こんなのが家にあればうれしいですが、今、家庭内で見られる鋳造物は、「じゃ口」「すき焼き鍋」「工具類」「ガスコンロのバーナー」などがあります。こういうことから鋳造物は、昔から現代までつながっていて活用されていることがわかりました。
 銅鐸づくりでは、兵庫県神戸市の生駒銅鐸のミニチュアを作りました。一、はじめシリコンの鋳型をきちんと合わせて、輪ゴムで止める。二、次にガスコンロの上に小鍋を用意して、「錫」を溶かす。三、溶けたら一気に鋳型に流し込み、固まるまで五分待つ。四、固まったら。型をはずして、銅鐸本体の下部を切る。五、舌に「ひも」を通して銅鐸本体につける。「ヤケド」に気をつけながらの作業だったけれど、鋳型をはずした時、きれいに出来ているのを見てとてもうれしく思いました。
 今はシリコンで型をつくれますが、昔はなかったので、どれぐらいの人がヤケドやケガをしたのかと思うと、特に大仏さん作りにかかわった人達は大変苦労したのだろうと思うと、今は機械があって幸せだなと思いました。


中学校二年(当時) 奥富彩代さん

言葉の翼

 相手に伝えなければいけない思いがある。それは「感謝」の気持ちである。
 人は永遠には生きることのできない生き物である。大切な人と寄り添っていること、共に歩いていること。それは広大な宇宙では、とても小さな出来事である。そして、その「小さな出来事」こそが宇宙で唯一の「奇跡」だ。世界人口は約七十億人。日本だけで見ても一億人以上の人が存在している。地球が誕生してから百三十七億年もの時が刻まれた。とてつもない数の時を刻む宇宙の歴史。想像ができないほど広大な宇宙。その中で私たちは同じ地球という青く輝く星に命を宿した。
 そして今も、同じ時を刻んでいる。人と人が巡り会うことは「奇跡」である。
 そんな「奇跡」で満ちているこの世界で、私は人に感謝の気持ちを伝えることができているのだろうか。人の人生という道のりは人それぞれである。人の数だけ人生という道も存生している。しかし、道の残りの距離を人は推測しかできない。伝えたい思いがあるならば、決して後回しにはせず、相手に伝えるべきだ。
 二〇一一年三月十一日。東日本大震災が起こった日である。地震大国と呼ばれる日本では地震は珍しくはない。しかし、この地震は違った。宮城県を震源とし、マグニチュード9という日本周辺における観測史上最大の地震であった。この地震により津波が発生した。当時八歳だった私の目にも、その光景は映った。次々に家や人を飲み込んでいく津波に逆らうものは何一つとして存在しなかった。家のテレビの前に座り、恐ろしさのあまり手で目を隠しそうになりながらも、私はその場を動かなかったことを今でも鮮明に覚えている。
 今、思い返すと、地震や津波の恐怖と現実に起こっていると受け入れなければいけないという思いで葛藤をしていたようにも思える。
 この震災で大切な人を失うことになった人は少なくはない。突然の別れ。悔いを残してしまった人は大勢いるのではないか。亡くなった人も残された人も。それでも生き残ることができた人として生きていかなければならない。
 人は永遠には生きることはできない。だからこそ、人生の価値感が高いのだと思う。永久に続く絆や愛であったとしても、形にし永遠に残すことはできない。しかし絆や愛、そして感謝は、言葉で相手に伝えることができる。言葉の翼に乗せられた人々の思い。その言葉を受け取った人は、その言葉の重みが届くことだろう。この広大な宇宙で私たちが巡り会ったこと、それは「奇跡」である。
 自分が感じた感情を相手に届けることは大切だ。喜びや感謝、そして幸せを共有する。
 そうすれば一人では感じることのできないほどの幸せを覚えることができるだろう。思いを相手に届けること。それは人生に悔いを残さないためにも重要なことだと思う。言葉では表せないほどの思いを、全力で相手に届けよう。私の思いの全てを言葉の翼に乗せて。

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